〔人それぞれの・・・・〕■ケーリー・グラント■
1999/2/20
モナコの王妃になり、悲劇的な死を遂げたグレース・ケリーとの共演映画「泥棒成金」、
エバ・マリー・セントとの共演作で、「泥棒成金」同様ヒッチコック監督の「北北西に進
路を取れ」、そしてオードリー・ヘプバーンとのしゃれたミステリー・タッチのコメディー「シャレード」。
ケーリー・グラントの品のいい、瀟洒な紳士ぶりに胸を熱くしたファンは多いことだろう。
ケーリー・グラントはイギリスのブリストルで生まれ育った。
仕立て屋のアイロンかけ職人だった父親のために、10歳で母親と引き裂かれ、20年後に再会したときは、母子の感情を失っていた。
きゅうくつな学校生活を嫌悪し、一度は父親に連れ戻されたが、アクロバットの一座に加わって、16歳の年にアメリカへ渡った。
一座が帰国した後も、ニューヨークにとどまったケーリーは、舞台に立つうちにハンサムなイギリス青年というイメージを確立し、1931年、パラマウント映画と契約する。
デビュー作は1932年の「その夜」。以来、生涯に72本の映画に出演し、1970年、その出演全作品に対してオスカー特別賞を授与された。
このケーリーのいちばん好きなお菓子が、チョコレートがけした「マジパン」だったという。
マジパンというのは、アーモンドの粉、砂糖、卵白、小麦粉を練り合わせて作る、と「最後の愛人があかす衝撃の告白」というキャッチ・フレーズのついた『いとしのケーリー・グラント』には書いてある。
練った生地に、チョコレート棒を包み込んで焼いた菓子、という説明も読んだ。
ほんとうは、どんなものなんだ?
ケーリー・グラント、本名アーチボールド・アレキサンダー・リーチ。1904年1月18日生まれ。
1987年11月29日脳溢血で死亡。生涯に5人の妻をもった。
TM記