〔あの雑誌が創刊号のころ〕■「プレイボーイ」■
1999/1/16
日本版「プレイボーイ」の創刊号の発行は昭和41年11月15日。
表紙はタイツをはいた女性のお尻が、雄ライオンの顔を構成するというユニークなもの。
アイデア=セルジュ・マノン、カメラ=早田雄二、コスチューム=武田秀夫、アートディレクター=新正卓。
表紙を開くと観音開きのグラビアで、FIAT1600Sの写真と透視図。
時価220万円と書いてある。このころから日本経済は上昇しはじめ“いざなぎ景気”といわれた。
GNPも合衆国に次ぐ世界第二位になり、オーナー・ドライバーが急速に拡大し、乗用車の普及率も高くなった(昭和45
年に全国世帯の22%になる) 。
白黒の写真グラビアは米第7艦隊の紹介。ベトナム戦争が拡大し、米軍機の北ベトナム爆撃が始まって2年めである。
他にはフランク・シナトラと三人めの妻、クラシック・カーのレース紹介。
トップ記事は「モンロー自殺直前の電話はRケネディ?」。そして石原慎太郎の連載「プレイボーイ哲学」の第1回がはじまっている。
「プレイボーイ・クラブ」の会員募集があって、目玉はいすゞベレット 1500スポーツ1台。
中央、片観音開きのカラーグラビアはベッチーナ・ブレナン嬢の全身ヌード。
といっても下は隠してある。後ろの白黒グラビアは女優ラクェル・ウェルチの水着ボイン。
明治製菓の新製品、板チョコ「ロンド」の発売広告も載っている。1枚70円。
TM記