バーネガット書店は、ブロードウェイとユニバーシティ・プレイスの間の東十一丁目にある。通りを三つ、十・九・八丁目と南へ下るとグリニッヂ・ヴイレッヂ、その一つ南の街区がワシントン・スクエアで、さらに一つ下るとニューヨーク大学だ。
書店の主人は通称バーニー、またはバーン、本名はバーナード・グライムズ・ローデンバーで、三十代も後半、ひょっとすると四十代に入っているかもしれない、仕事の終わりにはマティニを飲む男だ。
書店の二軒東に「プードル・ファクトリー」という犬の美容院があって、そこのキャロリン・アイザーとバーニーは、替わりばんこに昼食を買って、相手の店で昼食を食べ合うという仲だ。
別に恋人同士というわけじゃない。事情があって、キャロリンのベッドへ下着だけになってもぐり込むことがあっても、自然にそうなるような中にはなっていない。
彼女はじきに三十で、ダッチカットのダークブラウンの髪に、澄んだ青い瞳、背丈は五フィート一インチほどだけど、消火栓のような体つきをしている。
キャロリンは、純正の、レズビアンなんだ。
それに、やがてバーニーの仕事の相棒にもなる。バーニーの本屋はあまり実入りがよくなくて、別口のほうが実入りがいい。その別口というのが、泥棒なんだ。ひところは、一時間半のうちに二万ドルは稼いでいたらしい。バーニーの、ある意味での相棒であるレイ・カーシュマンにいわせるとそうなる。カーシュマンは警官だから。
バーネガット書店は古本屋だが、ブロードウェイの十二丁目に「ストランド・ブックストア」という古本屋がある。地下から地上五階までの間に、二百万冊の古本が詰まっているという店だ。いつだか、ある男性雑誌が、三万ドルの値のついたジョイス署名百部限定初版本「ユリシリーズ」がある、と書いていた。
このストランドには生前、<ワンダーおじさん>こと植草甚一さんが、朝から晩まで一週間通いつめて、とうとう全部は見きれなかったらしい。ワンダーおじさんは十二丁目と十三丁目の間にある、格式高い「ダウバー・アンド・パイン」にも、ホテルとの間を一日に二度も往復するくらい入りびたりだった。
バーガネットにも、こんな客がついていればよかったんだけれど。
さて、・・・・・・・
その夜、九時二十分きっかりに電話でつなぎを受けて、バーニーは身支度をした。ネービーブルーの、ピンストライプのスリピース。ウェッジウッド・ブルー(十八世紀のイギリスの陶芸家の焼き物に使われた青色)のシャツに、ネイビーブルーの地に緑と金の綾織り模様のネクタイ。靴はモカシン風の爪先が黒、子牛皮とクレープゴムの厚底。そして外へ出たら、トップコートをはおった。
これが、これから盗みに入ろうという、のび師の仕事着なんだ。なんとね・・・!
その夜の仕事先は、フォレスト・ヒルズにあるチューダー朝の建築様式のアークライト邸。フォレスト・ヒルズはクィーンズ区にある。中産階級の住宅地で、日本企業の会社員が家族ぐるみで多勢住んでいる。そのフォレスト・ヒルズ「臍の中のルビー」にあたるコパーウッド・クレセントが今夜のおつとめ先というわけ。クレセントというからには、三日月型の土地なんだろうけど、手元の地図では見つからなかった。
その夜、バーニーが盗んだのはかつて水につかった跡のある、何ページかは陽焼けした古本が一冊だった。数百ドルの現金も、六万ドルの預金通帳も、コインのコレクションも、小粒真珠に囲まれた大粒のマルキーズ・カットのルビーにも手をつけなかった。
彼のお目当ては、キプリングの「バックロウ砦の解放」だった。キプリングの詩集と空巣泥棒。妙なとり合わせだが、考えようでは最高に洗練された組み合わせでもある。なにしろ、ニューヨークだからね。
バーニーはやがて、めんどうに巻き込まれる。ドアを警察が激しく叩いているのに、女の死体といっしょで、おまけに焼けこげた匂いをまだ立てている拳銃を手にしていたのだ。
どうすればこの危機から脱出できるかは、ローレンス・ブロックの『泥棒は詩を口ずさむ』(早川書房)を読んでほしいのだけれど、今度、ニューヨークに出かけることがあったら、東十一丁目にあるバーネガット書店を探してみるといいね。たぶん、あまり目立たないけれど、しゃれた、小さな店だと思う。
それから、フェラフェル・サンドイッチとホモズを試してみるといい。ホモズはエジプト豆やゴマで作った中東のペーストなんだけど、フェルフェル・・・・じゃない、フェラフェルか、がどんなものだか、わからないんだよね。バニーのお好みなんだけれど。