投稿日: 2004年9月15日
チョコヴィックを初めて訪問したのは1988年のことであった。社長は開口一番、日本は当社のマーケットには入っていません。せっかくお越しいただいたのですが残念です、という。
その訳を聞いた。日本にはそれまで8回行った。訪問した会社は一部上場の日本の5大メーカーのなかの一社である。毎回、歓迎してくれ、食事付きの大歓待をうけた。しかし、オーダーはなかなかもらえなかった。その間、多くの見本と様々な仕様書や検査証明書等の提出を要求されたが、それでも注文は一向にもらえない。8年間で注文は僅か1コンテナだけで、投資した時間と費用に見合わない。
このての苦情は、ヨーロッパ諸国で現在もよく聞く日本に対する苦情である。日本で当たり前と思っていることはヨーロッパでは通じない。チョコヴィックは日本を訪問するたびに韓国にも立ち寄って市場を開拓した。8年間で韓国への輸出規模は年間2000トンにもなった。日本に用はない。こんな結論が出たところへ訪問したのだから、最初から愛想の悪いことおびただしい。
それから2日かけて日本にも製品を出してくれるよう必死の交渉。日本からわざわざ出向いていったのに日本の悪評を聞いてすごすご帰るわけにはいかない。すったもんだの末に、契約書にサインすれば取引きすると云うところまでこぎ着けた。
自分は相手都合の契約書にサインをしてひどい目にあったことがあるので、契約書なしで取引したい、どうしても契約書が必要ならこちらの都合も書き加えた契約書にしてくれとねばった。両者が最終的に合意したのは1992年であった。
それでも未だに日本の評判は芳しくない。日本の流行は1年毎に変わるからだ。今年、売れているものが来年は売れない。安定的な取引ができない。All or nothing である。モノを売るのではなくコトを売らなければ予算もたたない。かくして日本のチョコレート業界はバレンタイン・デーだけのチョコレートになってしまったのである。
写真: 日本最大のコンビニのパンにチョコヴィックのチョコチップを使用
これもわずか2年しか続かなかった。
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