投稿日: 2004年9月24日
■『神々の食物』チョコレート(1)■
野生のカカオの木は中央アメリカで4000年前から自生していた。
カカオ・ビーンズはカカオ椰子の木の幹に結実する果実(カカオ・ポッド)の種子で
ある。
人類がこの種子を食品として食するようになるまでは、鳥や猿たちがもっぱらこの果
実を賞味した。彼らがこの果実をついばみむしっているうちにその種子をばらまき、
その結果、中央アメリカ中にカカオの木が広がった。
しかし、人間は16世紀まで、カカオの実を食べたことはなかった。
最初、人間はチョコレートを飲み物として知っていた。
古代の中央アメリカの原住民部族はチョコレートを飲んでおり、
トルテック族(10~11世紀にメキシコを支配していたと考えられている部族。
アステカ族の先行部族)は彼らの祭壇の前で香料を焚くとき、祈りを捧げる者に宗教行事に参加する一種の許可証としてカカオの枝を与えていた(?)。
この儀式が最高頂に達したときチョコレート色の犬が犠(いけにえ)に供された。
「チョコレートの神」の怒りを鎮めるためにコロンブス前のニカラグア人はその年の
カカオの種蒔き前に13日間、禁欲生活を守り、月の神につつがない収穫を祈念し
た。(ニカラグア:1528年、スペインの植民地。1838年、中米連邦解体とと
もに共和国として独立。)
メキシコのイツア族は「食物と水の女神」に捧げる犠(いけにえ)の捕虜を浄めるた
めにチョコレートを一杯飲ませた。
アステカの伝説によれば、彼らにチョコレートを与えたのは知恵と知識の神、ケツア
ルコアトル(または土地を耕して作物を植えることを教えた農耕の神でもある)である
という。ケツアルコアトルはまた、アステカ人に絵画、銀・木・羽細工を教え、暦を
与え、トウモロコシの栽培方法を教えた。ケツアルコアトルがカカオの木の育て方と
果実の種子からチョコレートを作る方法も教えたといわれている。(アステカ:1
4~16世紀に現在のメキシコを中心に栄えた部族帝国。首都テノチチトランは現在
のメキシコ・シティ。大ピラミッド建設、生きた人間の心臓を太陽神に捧げる儀式で
有名。)
カカオは鳥獣によって最初自然に広がっていき、トルテック(アステカ以前にメキシ
コを支配)、イツア、マヤはカカオの何たるかを知っていた。特に、ユカタン半島に
カカオの種を栽培したのはマヤ族である。彼らは西暦600年頃、人類史上初のカカ
オの植林園を作った。これがマヤ族の富の源泉となった。当時、カカオの種は黄金か
それ以上の貴重品で、貨幣がわりに使用され、8粒で兎、100粒で奴隷1人が買え
た。(マヤ:紀元前5世紀~16世紀にユカタン半島、メキシコ南部、グァテマラに
栄えた文明。マヤ族はグァテマラを祖地とし、勢力を拡大した。)
アステカ族はマヤなどの種族を滅ぼし、彼らのカカオ農園を受け継いだ。
初めてチョコレートを口にしたヨーロッパ人はコロンブス(1451~1506、
ジェノヴァ生まれ)だといわれている。これは、1502年、彼の4回目の航海のと
きであったという。しかし、彼はチョコレートにはほとんど興味を示さなかった。
チョコレートの価値に気づいた最初のヨーロッパ人は、スペイン人コルテス(148
5~15 47)であった。彼は1519年モンテスマ王2世からチョコレートを供
された。大饗宴の最後にこの“賓客”は、蜂蜜とヴァニラを混ぜた、冷たい、泡立て
たショコアトル(XOCOATL)を黄金のカップで飲まされた。1519年はケツアルコア
トルが再帰を約束した52年に1度巡ってくるアステカ暦の「一の葦」の年にあたっ
ており、モンテスマ王2世以下、アステカ人は“白い膚、顎髭”の征服者、コルテス
を救世主として迎えたのである。コルテスによってアステカは 1521年に滅ぼさ
れた。
野生のカカオの種子をすりつぶして作った、苦く酸味の強い飲み物を平然と飲んだコ
ルテスをケツアルコアトルと信じこんだのである。アステカ人はワインやトウモロコ
シの粥、トウガラシ、コショウを混ぜて飲み、ハイになっていた。モンテスマ王宮で
の一日の消費量は2000杯と決められており、モンテスマは自然の水を使ってアイ
ス・チョコレートも飲んでいたという。
コルテスは当時のスペイン王、カルロス1世(1500~1558・神聖ローマ皇
帝、ドイツ皇帝)にこの「神々の飲み物」は「勇壮果敢な兵士をつくり、カップ一杯
飲めば一日食物を取らずにすむ」と書き送った。さらに彼は植林園の経営を王に勧
め、スペインはハイチ、トリニダード、そして、アフリカの西海岸の小島フェルナン
ド・ポに至るまでカカオ園をつくっていった。
カカオの栽培は赤道をはさんで南北20度の範囲です。<<<
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