投稿日: 2004年9月25日
■『神々の食物』チョコレート(2)■
スペイン王室はカカオの効用を認め、その後、約100年間禁輸品として国外に持ち出しを禁じた。
スペイン王室でチョコレートに砂糖を混ぜて飲むことを思いついたのはカルロスV世(1601~1643)であった。砂糖はオリエントから輸入する高価なものであった。砂糖以外にオレンジ汁、バラ汁、シナモン、ヴァニラ、アーモンド、ピスタチオ、ジャコウ、ナツメッグ、クローブ、オールスパイス、アニシド等が混ぜられた。
16世紀当時、ヨーロッパの流行の発信地はマドリッドであり、チョコレート飲用の風習もここから広まっていった。フランスへチョコレートを持ち込んだのはスペイン王、フィリップ3世の長女アン王女で、14歳の花嫁は14歳の花婿ルイ13世(1601~1643)のもとへチョコレートを引出物として持参して嫁した。この二人の間に23年後できた王子が“太陽王”と呼ばれたルイ14世(1638~1715)である。ルイ13世の宰相リシュリューもチョコレート愛好家であった。
ルイ13世が1643年に死んだ後、王子が成長するまでの8年間、アンが政治を執った。当時、チョコレートは恋人に裏切られる貴婦人の恋物語に欠かせないものになっていた。裏切られた貴婦人は必ずチョコレートカップに毒薬を混ぜて復讐することになっていた。また、裏切る恋人の方も「もう少し砂糖を加えたほうがいいね。毒を入れると少々苦みが増すのでね。今度男にチョコレートを飲ませるときは、このことを考慮したまえ」などといって、雄々しくバッタリと倒れることになっていた。
一人のフランス人がロンドンにチョコレート・ショップを開店したのは1657年である。「チョコレートという名の西インド産のすばらしい飲み物」の広告が“パブリック・アドヴァタイザー”紙に掲載されている。
アンの王子ルイ14世に、アンの兄でスペイン王であるフィリップ4世の王女マリア・テレサが嫁いだのは1660年である。このマリア・テレサが情熱を傾けたものが二つあった。ひとつは夫君ルイ14世であり、いまひとつはチョコレートであった。
18世紀のオーストリアではチョコレートには課税されていなかったので、庶民の飲み物として広まった。1743年、オーストリア女王マリア・テレージア(1717~1780)の依頼によって王室一家の肖像画を描いたスイスの画家、J.E.ルアトルドは、毎朝、目覚めのチョコレートを運んでくれる少女をモデルに「美しいチョコレート・ガール」という有名な絵を残している。また女王一家が朝のチョコレートを喫している絵には、人形を手にした当時、5歳のマリー・アントワネット(1755~1793)が描かれている。
1723年にフランスの王位についたルイ15世には、マダム・デュ・バリーとマダム・ポンパドールという二人の愛人がいたことで有名である。後世の伝記作家によると、マダム・ポンパドールはトリュフとチョコレートを入れたセロリのスープを催淫薬として、また、ダイエットのためにといって朝食がわりにとっていた、という。
マダム・デュ・バリーはフランス革命の間、イギリスに逃れていたのであるが、帰国後、ロベスピエールによって処刑された。その処刑の罪名のひとつに、彼女の愛人たちにチョコレートを催淫薬として飲むように強制した、というウソのような本当の話がある。
ルイ16世と結婚したオーストリアの王女マリー・アントワネットは、蘭の球根の粉末入りチョコレートを当時の新製品として、フランス王室へ持参した。蘭の球根は肉づきのよい魅力的な女性をつくるのに効果があるといわれていた。神経を休めるのに効果があるとされていたオレンジの花びら入りのチョコレート、デリケートな胃を強くするのに効果のあるアーモンドのミルク入りのチョコレートも彼女と共にフランスに入った。
チョコレート・ケーキのレシピがウィーンの料理の本に初めて記載されたのは1778年のことである。「ショコラティ・トルテ」という名のそのケーキにはあいかわらずシナモン、クローブ、ジンジャーなどのスパイスがチョコレートの苦みを消す目的で使われていた。
スパイスなしで、チョコレートに砂糖、小麦粉、卵の材料でケーキが料理の本にあらわれるのは、1799年の「ウィーニーズ・ベーカー」の中である。
1832年、16歳の見習いシェフが見事なチョコレート・ケーキを創って、歴史に名を残す3人のウィーン人の仲間入りを果たした。その名はフランツ・ザッヒャー。他の2名は音楽家ヨハン・シュトラウス(1825~1899)と、心理学者ジークムント・フロイト (1856~1936)である。
彼のケーキはチョコレートにバターをたっぷり使ったケーキ台にアプリコット・ジャムでグレーズし、ココアのフォンダントで仕上げたもので、「ザッハトルテ」の名で有名になる。最初のザッハトルテはオーストリア王室のテーブルに供された。ザッヒャー家はホテル経営で世界的に名前を知られている。ホテル・ザッヒャーはウィーンのオペラ座の向かいに、現在も同じ場所にある。
1937年、ウィーンを訪れたスウェーデン生まれの映画女優グレタ・ガルボは、マスコミぎらいで有名であったが、新聞記者の質問に「この街の光輝に満ちたお菓子、ザッハトルテをおなかいっぱい食べにきたのよ」と来訪の理由を述べた。
ハリウッドの女優キャサリーン・ヘップバーンは70歳のとき、雑誌「グッド・ハウスキーピング」のインタビュー「いまなお、素晴らしいスタイルを保っている秘訣は?」と聞かれて、つぎのように答えた。「これまでずっと、チョコレートを食べてきたお蔭よ。一日に1ポンド(450g)っていうこともしょっちゅうよ」、と。
『神々の食物』チョコレート(1)と(2)の連載は、Marcia and Frederic Morton の CHOCOLATE の抄訳です。CROWN PUBLISHERS, INC. New York. 1986. First Edition. マダム・ポンパドール。
月守晋訳。 カカオの生育地のイラストレーションは日本チョコレート・ココア協会。 ”The chocolate girl”, by the Swiss artist Etienne Liotard.
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