投稿日: 2004年10月5日
大学に入って間もないときアメリカ人の先生から、クラス全体の生徒に親の職業を聞かれた。私はチョコレートとキャンディーのメーカーと答えた。先生はアメリカでは、菓子はテン・セント・ストアーかドラッグ・ストアーで売られているのだ、と聞かされた。ドラッグ・ストアーといえば薬屋ではないか。その頃、大阪の道修町で天理薬局とサカエ薬品という薬屋が平野町通りを挟んで安売り合戦をしていた。ビオフェルミンやビタミン剤を軒先の黒板に売価を書いて客を呼んでいた。ある日、父の薬を買いに行かされたとき、アメリカ人の言っていたドラッグストアーのことを思い出した。 それは1955年の6月のことであった。私は真新しい角帽を被って父と一緒にサカエ薬品に売り込みにいった。社長は静かな人で英文のマーケティングの本を読んでいた。私は言った。アメリカではチョコレートやキャンディーをドラッグ・ストアーで売っていると聞いたので売り込みに来ました、と。どこで売っているのですか、と社長は丁寧に質問した。父が誇らしげに三越、阪急、高島屋、大丸、近鉄、阪神、そごう、鉄道弘済会などで売ってもらっています。すると、そうですか、では、明日から売りますから、売れそうなものを適当に見つくろって持ってきなさい、と簡単に注文をくれた。 社長の名前は中内博。後のダイエーの社長になる中内功の弟であった。これが私とダイエーとのかかわりの第一歩になった。翌日からこちらで売れそうなものを持っていって並べるだけだ。並べるところはサカエ薬品と東隣との間の路地に粗末な金網製の陳列棚の上。
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