投稿日: 2004年10月9日
1965年6月のある暑い日であった。高校時代の陸上部で、“鬼のコンサブ”と呼ばれていた先輩の会社の部下が尋ねてきた。“コンサブ”こと近藤三郎氏は、日本でも屈指の電線会社の課長(当時)であった。
用件は、糖蜜漬けのリンゴをコンテナ1本買ってほしい、というものであった。彼の会社は“中国の赤い星”、つまり毛沢東政権に電線を売り、その代金は農産物で決済をされているらしかった。穀物、豆類は何とか処分できたが、どうしても処分できないものがあるという。それが糖蜜漬けのリンゴであった。陸上競技部の先輩が困っているというだけで、わたしは誰にも相談せず、これを買い取った。しかし、これは大変、処理に困る代物であった。青島付近で採れる紅玉(こうぎょく)をシロップで煮たものを丸のままセロハンで1個ずつ包んであった。が、糖蜜がセロハンの間から滲み出して、ニチャニチャと指にひっつくのだ。
セロハンを取り除くのも人手、チョコレートを掛ける前処理も全て人手に頼らなくては、どうにもならない代物であった。夏の閑散期だったので、人海戦術で1枚ずつセロハンをはがし、ひと口サイズに包丁で切り、1個ずつエンロバー(チョコレートを被覆する機械)のコンベアーに載せてチョコレートを掛け、それをまた1個ずつ手で包装をした。折しも人手にたよらず機械で合理化を進めようとしている時代に、10年以上も逆戻りする商品を開発してしまったわけだ。原価が恐ろしく高くつき、とても通常のルートにのせられるような売価ではなかった。
考えあぐねた末に、菓子問屋には卸さず、珍味問屋のルートに載せることに決心した。まったく新しい販売ルートであった。商品名は、名づけて「アップル・ハネー・チョコレート」。この商品はわたしたちの大いなる危惧をよそに、コンテナ1本、20トンが春先までにさばけてしまった。味が日本人に向いていたうえに、それまでの珍味問屋の扱い商品とくらべると、断然、割安感があったらしい。
こうして、電線と糖蜜漬けリンゴのバーター取引が続いている間、わたちたちはせっせと手をべとつかせながら、このリンゴと格闘した。そのうち、大学時代の友人から、巷の高級バーやキャバレーで、お前の作ったチョコレートを食べたぞ、と電話がかかるようになった。リンゴとマッチする原料チョコレートを日本チョコレート工業協同組合で特別にオーダーできるほど販売が伸びた。発売から10年近くたって、父がガンに襲われた。急遽、パリで修行中の弟を帰国させ、家業を手伝わせることにした。ここから、このリンゴのチョコレートは大きく路線を変えることになった。珍味ルートに見切りをつけ、そのころ盛んにもてはやされていたPB(プライベート・ブランド)の話に乗ったのである。
「世界のチョコレート」の専門店から、その店が売り出すオリジナル商品として、白羽の矢が立てられたのだ。名称はフランス風に「ポム・ダムール」と変わり、パッケージ・デザインも当時、最先端のしゃれたサイケ調のものに衣替えした。その店の主人は豪気に、惜しみなく試食サンプルをまいた。O157騒ぎもない、良き時代であったから、デパートの売出しでも、どんどん試食サンプルを提供できた。サンプルを出せば出すほどよく売れた。もともと味もよく、飽きのこない商品だったから、1980年ごろになると、生産が需要に追いつかなくなってきた。
ちょうど中国が広州で、盛んに食品や衣料、雑貨の見本市を開き、輸出振興に力を入れはじめたころと時を同じくする。もう電線とのバーター取引は終わっていた。弟が直接、リンゴの買いつけに中国に行くようになったある年、わたしはひとつの知恵を授けた。「中国には人手はあり余っている。人手を使うことが、あの国の現在では善なのだ。だから、現地でチョコレートを掛けるサイズにカットして、それを輸入してはどうか」と。
この方法を採用したおかげで、飛躍的に伸びていた売上に、生産が追いついた。ところが、これはいけると、日本の商社が、それまでは二の足を踏んでいた糖蜜漬けリンゴの輸入を、われ先に始めたのである。しかも、どっとばかりに輸入した糖蜜漬けリンゴを、相手の見境なく卸していった。その結果、日本中にリンゴのチョコレートが市場に氾濫した。なかには中国でチョコレートを掛け、包装まですませて輸入するところも現れた。人手に頼らざるをえない製品では、この現地生産の製品には、価格ではとうてい太刀打ちできない。しかも、日本の法律では、中国で生産したものであっても、バルクで輸入して、日本で袋詰めなどの最終包装をおこなえば、“Made in China”と表記しなくてよいのだ。いずれこのような表示については改められるときが来るであろう。食品表示、添加物表示は法律の本来の目的を拡大解釈したり、ウソをついたりして消費者から顰蹙をかっている現状を、わたしは憂えるものである。 さて、今後、自慢にならないようにわたしが過去に開発した商品を書きたいと思っているが、なかなか筆がすすまない。信用毀損だとか業務妨害だと、いわれなき罪に問われないようにどこまで踏み込んで書けるかが問題である。このリンゴ・チョコレートでも現在も販売されている商品である。しかし、一時の勢いはない。多くの「まね商品」がたがいにマーケットを食いあって、リンゴ・チョコも陳腐化(コモディティ化)していく道をたどっている。単品で1億円売れるとまねが始まり、10億売れると大企業が参入してくる。味ではなく、宣伝によって売りまくり商品を台無しにしてしまう。リンゴ・チョコだけは発売以来40年経とうとしているがまだ何とか中小企業の製品として生き残っている。 写真:ローマにあるチョコレートブティックのアステカ時代を描いた色鮮やかな中世風のインテリア。さすがはイタリアという店の雰囲気である。
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