投稿日: 2008年2月3日
永らく休刊していましたが復刊のご挨拶をベルギーからおくります。2年以上筆が進まなかった理由は探せば数かぎりなくあります。最大の理由は中国でリンゴチョコレートを製造し、日本のみならず世界各地へ輸出したいという野望のもとに中国に工場立地を求めて各地を頻繁に訪れていたためです。2007年、遂に念願が叶って上海に隣接する太倉市に適当な工場建設地を見つけ、営業許可を受けるところまで漕ぎ着けました。しかるに宿痾が悪化したため中国政府から営業許可の降りる8日前にすべての計画をキャンセルしました。以後、自分の気持ちが釈然とせず悶々の日々を虚しく過ごしてきました。1993年から中国の地を幾度踏んだことであろう。これが自分の人生最後のプロジェクトであると大いに気負っていました。これに代わるプロジェクトは何か。焦慮と懊悩の1年でした。そんなある日、学生時代の親友と旧交を温めました。友の曰く、肩の力を抜いて今まで懸命にチョコレートに捧げた人生を原点に戻って再出発しては、と。幸い父から受け継いだ事業は弟に、自分が創った会社は夫々若い人に承継した。ベルギーの会社はベルギー人のパートナーに、日本チョコレートは50年間共に働いた社員の息子に、チョコヴィックジャパンは若いチョコレート愛好家に譲り、残るはベルジャンチョコレートジャパンのみになりました。若い後輩たちにこの激動の時代を乗り切るための智慧と勇気を与え続けることにしました。国際基準のチョコレートを国際的に販売してサバイバルゲームに挑戦しようと意気込んでいます。Divinus Cibus(神々の食物)に余生を、Carpe Diem(今日という日を楽しめ!)の精神で送ろうと決心しました。後継者の一人を伴い毎年、ケルンで催されるISM国際菓子見本市に1月26日から参加しました。ベルギーの会社を引き継いだベルギー人は2002年から出展し大いに気をはいています。これからベルジャンチョコレートヨーロッパとベルジャンチョコレートジャパンのホームページの「チョコレート宇宙誌」を通じて思うところを書いていこうと思います。ご愛読のほどをお願い申しあげます。
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