投稿日: 2008年6月29日
1965年6月1日、午前8時。Courvoisier を再度訪問して一日研修(スタージュ)を行った。
製法を学ぶということはフランスのチョコレート文化、就中、職人の伝統の技に直に触れること
であった。このときの経験はね後々、大いに役立った。
ナポレオンガナッシュ、パートダモンド (Pate d’Almond)、ジャンドゥージャ (Gianduja) を習っ
た。ブラッシュアーモンド、焙焼したヘーゼルナッツから作っていく。出来合いのペーストを仕入
れないところに職人の心意気を感じた。ジャンドゥージャを潰す円形の水平ロールも年期もので底
は石製である。その方が豆の繊維と油脂の分離がなくて使いやすいという。1バッチ、20キロで
5時間以上かかる。ボンボンショコラが高いはずである。
センターに使うパートダモンド や、ジャンドゥージャ (Gianduja) を一から作るのはショコラティ
エで、ケーキを作るパティシエの多くは出来合いのペーストを仕入れる、と Courvoisier の息子が
言う。パティシエは別の職業のように一線を引いているところが可笑しかった。
作業台に大きな工夫が隠されていて興味深い。天板は鉄製で四方に引き出せる鉄板と二層構造にな
っている。天板の足下に同じ大きさで上下に調整できる鉄製の棚がある。その上に正方形の移動で
きるガスコンロがおいてある。作業するセンターによってガスをつけ上部のアルミ製のトレイに
入った半製品のペーストが固まらないよう調節している。
センターを型抜きで成型するときは天板の下からもう一枚の鉄板を手前にスライドさせ、その上で
作業をする。チョコレートのテンパリングをするときは違う鉄板を引き出して、その上に大理石を
のせ、器用にスケッパを操って温調をしていた。この作業台は長年の経験によって特注したものだ
という。狭い場所を有効に使うための知恵である。
午後4時半には製造に区切りをつけ機械や道具の始末を始めだした。釜を洗い、道具を磨き所定の
場所に戻すのは日本もフランスも同じである。仕掛品の取扱が能率的であったことは先にも書いた
とおりである。いかにも実践的ですっかり感心した。作業台も気に入った。短いスタージュではあ
ったが、ナポレオンガナッシュの仕込み、型抜き、エンロバー、金箔片をチョコレートが固まって
から貼り付けるところまで懇切丁寧に教わった。技術を教わるのにフランス語ができないことに何
の痛痒も感じなかった。厚く礼をいって別れをつげた。
余談ながら、1970年4月指揮者ジョルジュ・プレートル、セルジュ・ボドの率いるパリ管弦楽団が
来日した。4月14日から21日までで6公演を大阪フェスティヴァル ホールで行った。このと
き、なぜか忘れたが Courvoisier氏が同行してきた。一夜わが家にCourvoisier氏と管楽器の演奏者
4~5名を招待してすき焼きを馳走した。音楽家はチョコレートを愛し、その逆もまた然り。毎
年、私は春の大阪フェスティバルホール音楽祭の通しチケットを手に入れ、通ったものだった。
この機会に、Courvoisier氏にわが社を見せることができたのは望外の幸せであった。
閑話休題。それはさておき、もっともパリらしいパティスリーを訪問したのは1965年6月2日
のことである。シャンゼリゼ通りから少し入ったところの四つ角にある、角店である。27, rue de
Ponthieu にあるシャロン (Charon) という名の店で1階が売り場で3卓ほどのカフェもある。パ
ン、ケーキ、クッキー、チョコレートを地下で製造している。この地下で製造するところがパリの
典型的な「お菓子屋」たる所以なのだ。年商はは5000万円。従業員数は家族をふくんで14名。
売上げに占める人件費比率は18%と低い。週、40時間労働が基準だが8時間まで残業が可能。
週、48時間。残業の割増賃金は27%。狭い工場で働く工員が7名。
職長の給料は1500フラン。中職人、900~1100フラン。見習い、700フラン。売り子、
ウエートレス、750フラン。火曜日が定休日。交代で週に1回、半ドン。主人が食パンをスライ
スし、マダムがキャッシャーに座るという家族経営。昼はまがりなりにも従業員にはフルコースを
食べさせていると、おかみさんは自慢した。この1等地にくるまで夫婦は懸命に働いて店を5回 か
えてきたという。その間、35年。夫婦の顔が苦労を物語っていた。
パン、ケーキ、プティフール、マカロン、クッキーを主につくっている。スイスで修業したチョコ
レート職人はクリスマスとイースターの中空成型のフィギュアを年中作っている。ボンボンショコラ
は仲間から仕入れている。チョコレートは総売上の15%である。シャンゼリゼの裏通りであるが
観光客を相手している訳ではない。常連客を相手に毎日精をだして働いている夫婦と話していると、
やはり菓子は裏でつくって表で売る日本の和菓子の小売屋と同じだと思った。
Courvoisier は製造卸、Sharon は自家製造、小売と営業形態は異なるが、職人仕事を見学して感じ
入ったことは、作り手はどこまでも菓子がこよなく好きであるということだ。毎日の決まった手順
で行う平凡な作業を、特別熱心に継続していく。あくまでも伝統に則り地道に商いをするのだという
気概は、日本では失われつつあるように感じてならなかった。
<つづく>
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