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初めての海外旅行(6)

投稿日: 2008年7月21日

周知のように、スイスは一人あたりのチョコレートの消費量が世界ナンバーワンの10.8キロ(2004年)。人口750万人。そのうちの2割、155万人は海外からの移住者であるから、本来のスイス国民はチョコレート・ココア飲料をもっと食しているだろう。スイスで消費されるチョコレートは生産量の50%。残余はすべて輸出。日本と同じくチョコレートの原料はすべて輸入されている。

1965年6月10日、世界的な企業であるビュラーのアマン氏(Mr Ammann)の案内で、ウィツヴィル(Uzwil)のチョコレート製造機械工場と、クロイツリンゲン(Kreuzlingen) にあるショコラベルンライン(Chocolat Bernrain)の工場見学をした。日本チョコレート工業協同組合に所属する組合員では1社を除いて1次加工から、つまりカカオビーンズからチョコレートを製造しているところはなかった。1次加工は組合工場に任せ、専ら2次加工に専念するチョコレートメーカーが40数社あった。オリムピア製菓もその1社であった。チョコレートを知るためには1次加工工程を理解しなければ前に進めない。そんな訳で世にも名高いビュラーに組合事務局がわたりをつけ私の見学が実現した。世界企業とはこのようなものか、と感激した。ビュラーのURL英語版を見るとその規模の大きさが分かる。またこの組織の人的資産も同様である。それは案内役のアマン氏の物腰のよさと、見識の高さであった。このように教養がある紳士には会ったことがなく世界の広さを思い知った。

ビュラーの工場見学記は割愛する。チョコレートの専門家であっても、ビュラーのチョコレートの一次、二次加工全てにわたる機械群は簡単に評論できるものではない。また、その一々をつまびらかにしなくても一流といわれるチョコレート工場に行けば、ほとんどどこでもビュラーの機械と出会うであろう。ひとつだけ言えることは、どの工程の機械も「美しかった」、凛とした気品の備わった工業デザインに輝いていた。さらに感心したことは、自分たちの信念に悖る機械は作らないという強い決意があった。当時もてはやされていたロータリーコンチェは作らないと言う。理由はスイスチョコレートの真骨頂はミルクチョコレートにある。ミルクチョコレートのコンチェは水平式がベストであると確信しているからだった。

スイスのチョコレート業界についてアマン氏は日本と比較できないほどの競争の激しさを強調した。スイスには30数社の業者があるがそれらは次の3グループに分けられる、と。第1グループは、ネスレ(Nestle)スシャール(Suchard)リンツ(Lindt)、トブラー(Tobler)の4社で、スイスの市場をアテにすることなく、世界市場を見据えて経営をしている。彼等のスイスにおける市場占拠率は60%である。販売価格は協定していて100グラムの板チョコレートは小売価格、1.10スイスフランである。年々、合理化を進め、売上も毎年続伸させている。

第2グループ ミグロ(Migros=Frey)ハルバ(Halba)ベルンライン(Bernrain)の3社で、生産高は日産、40~50トンである。市場占拠率は20%。生産量の半分は問屋を通じて小売業者に卸している。3社ともチョコレート製造に関してはスペッシャリストである。たとえばベルンラインのクレンボチョコレート(Krembo chocolate)は嵩があって安い(1個25サンチームの売価)、卸価格は75~80%。板チョコの小売価格は0.85スイスフランと安く設定して第1グループと対抗している。第3グループは 小企業で、日産、3~6トンである。23社ある。その他に裏で作って表で売るショコラティエは数を把握できないくらいある。彼等の市場占拠率は残る全てをあわせて、20%で、たがいに鎬を削っている。23社のうち10社は今後10年の間に消えていく運命にある。これはスイスだけの問題ではなくヨーロッパ全体、否、世界全体に言えることだと確信をもって言い切った。

アマン氏の結論はこうであった。第1グループはこれから世界各国へ工場をユニット化して進出していくであろう。トブラーは残れないかも知れない。
第2グループはミグロ、COOPの工場であるから生き残る。スイスの消費構造は希有のもので、
なんと消費の90%をミグロとCOOPが占めている。問題はベルンラインであるが、この会社はチョコレート製造にかけてスペッシャリストであると同時に、会社の理念、ミッションが秀逸である。新しい潮流を掴まえそれを商品化する能力がある。その上、歴史的にドリンクチョコレートからイーティングチョコレートになった文化的な背景を理解していて、文化に対する感性をもっている。現在、ミュラー・シニア(Mueller Senior)が経営しているが、息子が時代の目をもっている。生き残るのは至難な業だが、必要な技ももっているから大丈夫だろう。

さて、小企業群はチョコレートを作る道具から性能のいい機械に置きかえるべきだ。独自の製品をもって、パフォーマンスの高い機械を上手にインストレーション(installation)して、専業化しなければ人件費が膨張して経営を圧迫するだろう。これからは真似されにくい「感性商品」(sensitive merchandize)、「時流商品」(trend product)を各社がもつことだ、と喝破した。猿まね商品はだめといわれると何だか日本に対する痛烈な揶揄に聞こえたのは私の僻みであったかも知れない。アマン氏がウイッツヴィル駅まで送ってくれ、私は次なる訪問地、ローザンヌ(Lausanne)を目指した。

6月11日。ゴーティ氏(Gauty)さしむけのベンツでサパル(Sapal)へ行く。8時半、到着。ゴーティ氏が会議中とのことで、先にBRGとPRLPという包装機の機種についてそのスペックから性能、償却までの説明を聞いた。板チョコを包み、帯かけをするBRG、ボンボン、玉チョコのような小粒のものをアルミフォイルで包装し、帯かけをする機械がPRLP。日本の納入先リストを見せ如何に優秀な機械であるかを具体的に説明した。工場見学をして驚いた。機械の組みたて工場とは思えない清潔さで、高い屋根はガラスで葺かれ明るいことこの上ない。天井から移動式のリフトが四方に動き労働者に優しい環境である。日本とは雲泥の差だ。だから製品は芸術的な性能をもつ。これもまた感性製品だ。

工場見学の模様はここも割愛する。サパル(Sapal)は現在、エス・アイ・ジー(SIG)の傘下に入っている。(昨年、ベルジャンチョコレートヨーロッパ(BCE)がサパルの120グラムの板チョコを蒸着アルミフォイルで包装し、カードボードに収納できる最新の包装機を購入した。)

6月12日。ローザンヌからバーゼルへ列車で移動。
菓子業界誌、「ノイエ・コンデトライ」(NeueKondetorei)の編集長、アンドレ・トレイバル氏(Andre Treybal)に会うためである。バーゼルにはスイスで有名な菓子学校があること、クンスト博物館(Kunstmuseum Basel)があること、彼が来日したとき大阪で会って、スイスに来たときは、ぜひ、立ち寄るようにと約束していた。バーゼル到着から出発まで多くの話題、政治(ECCについて)、クンスト博物館に展示されていた絵画、彫刻について何時間も話した。政治の話題ではボキャブラリーの不足を感じた。一番の思い出は、夜、食事によばれたとき、夫人とご子息も一緒に持参した久留米絣仙台平の袴に着替えて「黒田節」を自分で歌いながら舞った。踊りに使った扇をプレゼントした。(自宅に招かれたときは踊るつもりだった。踊りの稽古は出発前に十分つけてもらっていた。歌には自信があった。)

6月13日。バーゼルから再びチューリッヒに戻った。バーンホフシュトラッセのシュプルングリのショーウィンドーに陳列されている商品をすべて丹念に撮影した。当時の商品がいまでも同じデザインのまま販売されている。

運命の6月14日。初めての海外旅行(1)に書いたリンツを訪問。この訪問がなければ私の人生もかなり違っていたと思う。それほど強烈な衝撃を受けた。スイスとチョコレートは国策としても広報活動に力をいれている。チョコレートの記念切手まである。

スイス・エピローグ

アマン氏の強調した猿まねでない「感性商品」と「時流商品」というコンセプトは現在も色あせていない。ベルンラインの商品ラインを見れば誰もが納得するであろう。17のカテゴリーがある。ダイエットチョコ、オーガニックチョコ、フェアートレードチョコ、酒のつまみ用チョコ、機能食品チョコ、シュガーフリーチョコ、コーシャチョコ、ノベルティチョコ、プライベートブランド、板チョコの既製モールド(大)、(小)、原料チョコレート、中空成形クリスマスイースター、スイス観光土産チョコ等々。ノイハウスの板チョコがベルンラインで生産されていたことは、私がノイハウス・ジャパンの社長の時に知った。

その後、ベルンラインの板チョコのPBの仲介をシージーシージャパンと江崎グリコにした。80グラム、50グラムのモールド、2セットをベルンラインに預かってもらっている。日本のPBプロジェクトは長続きしない。2~3年の命である。それはコンビニという業態がもたらしたバーコード管理によって簡単に取扱中止になる悪弊の結果である。菓子を愛していない人たちに販売を任せてしまったメーカー側にも責任はある。開発から販売までに注入される膨大な時間と労力はあっという間に消えてしまう。

                                                                                                                                <つづく>

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