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ダイエーの第1回アメリカ食品流通機構研修団(3)

投稿日: 2008年10月27日

ダイエーの第1回アメリカ食品流通機構研修団(3)

8月7日(土)

ラスベガスのカジノとディズニーランドを訪問する週末のオプショナル・ツアーには参加しなかった。
終日、サンフランシスコの街を足で見てまわる。坂が多い。空気が乾燥している。夜は肌寒い。教
科書で習った通りの典型的な海洋性気候である。住宅地を歩く。正に絵に描いたような街である。
大阪近郊の住宅地と比べるべくもない。隣との間に塀がなく開放されている。スプリンクラーが庭
の芝生に水を散布している。サンフランシスコから一歩外に出ると暑い。その夜、オプショナル・
ツアーに参加しなかったグループはサンフランシスコからロサンジェルスへ移動した。

8月8日(日)

ロサンジェルス在住の友人、藤江修一と会った。芸大で林武に学ぶ。高校の友人の紹介で久世
光彦とその同級生、藤江修一を紹介されたのは私が東京にでて大学に通いだした頃のことだった。
藤江は富山の生まれで高校時代に柔道、剣道、空手を修めた武道家の画家である。合計の段位が9
段。真冬でも裸で通す強靱な身体の持ち主で、身体の弱い私は彼が羨ましかった。学生時代に日蓮
正宗に入信。カルフォルニアで5本の指に入る創価学会の重鎮である。私は彼と知りあって以来、
いまもなお折伏を続けられている。筋金入りである。オリムピア製菓の包装紙は彼の筆になる(弟
が経営を始めてこの包装紙は終わりをつげた)。終日、彼と新しい小売業態を見てまわり、呑み、
食べ、そして語りあかした。

中でも印象に残ったのは大学を卒業して10年、ロスで家庭を持ち生活をしている藤江が連れて行
ってくれたのはロス一番の人気街であった。それは高級住宅地に近いファーマーズマーケット
(Farmer’s Market)という市場であった。たとえて言うと御徒町のアメ横高級版、つまり日本の
紀伊国屋、いかりスーパーの市場版である。ここは一見の価値がある。高級イメージを演出した肉
屋が軒をつらね隣同士で肉類、ハム、ソーセージを品質や産地の違いで互いに特徴を説明しながら
価格を競い合って商売をしている。そこには世界各地の土産物店、食料品店、軽食スナック等の独
立店舗ばかりで対面販売。ここが御徒町のアメ横とたとえた所以だ。しかし店格は青山紀伊国屋レ
ベルだ。ここには生活の匂いがある。人と人との暖かい情報の交換がある。小売業が市場から始ま
ったという歴史が証明されていた。アメリカは人種のルツボと言われるように、ロスの生活者は世
界各地から集まっているからこのような市場が賑わうのであろう。

羽田を出るとき、中内功のオリエンテーションで「日米の食品流通機構の根本的相違は、米国はそ
のほとんどがセルフ形式で、チェーン化されていること。単品業種の専門店が非常に少ないこと。
日本では肉屋、魚屋、八百屋、菓子屋という業種の単独店が圧倒的に多く、総合食料品店が少なく、
チェーン化も少ない」と強調した。しかしここには日本の市場形態そのもので、近隣の消費者であ
ふれアメ横なみの盛況ぶりであった。私はこの体験後、何処に行ってもその土地で生活する人にそ
この食品マーケットを案内してもらうことにしている。案内してくれる人が日本人であれば、日本
と特にどこが違うかを明確に指摘してくれるからだ。大切なことは食に関するかぎりプロフェッシ
ョナルな見識をもった人たちの生活を破壊することのない流通革命であらねばならない。また専門
店の店主は良品に良心をつけて販売しなければならない、と強く感じた。アメリカにまだこのよう
な市場が存在していることを発見して嬉しかった。そして藤江に感謝した。

8月9日(月)

今回の視察旅行で、私にとっての最大の収穫は、PIA(Pacific Indoor Advertising Co. )訪問
であった。この会社の業務内容そのものがJWT(トンプソン)のクリエイティブ革命の一つによっ
てもたらされたアイディアであろうと思われる。JWT(トンプソン)がCAGEやサンキストのよう
な一次産品を世界ブランドに導いた功績はたとえようもなく大きい。この報告書で幾度も言及する
が、「品質管理」が世界ブランド実現の礎になっていること、このことを100年以上前に生鮮食
品業者のクライアントに提言していることに崇敬の念をいだく。
PIAにてセミナーが始まったのは定刻の午前9時。スライドを使いながら副社長(Woody Ginn
Jervice)の説明に聞き入った。

PIAの活動地域

カルフォルニア、アリゾナ、テキサス、ネバダの各州である。100名のフィールドマンがこの活
動地域にあるスーパーマーケット、2800店舗を巡回訪問している。契約クライアントと契約し
た内容に基づいてビジネス活動を行う。

PIAのビジネス活動

l ストックを調べ、新しい注文をとる。

l 製品の売れ行き、回転状況をチェックする。(製造年月日のチェック)

l 契約メーカーのPOPを取りかえる。(このデザインや印刷はPIAのコア・ビジネス)

l 本部契約した商品が末端の店舗に並んでいるかチェックする。並んでいなければ受注する。

l 巡回先の店長に競合店の品揃え状況、販売価格等の情報を提供して、競合店とどのように対抗す
るかの知恵や戦略を店長と練る。これは製販共同のマーチャンダイジングである。

契約メーカーから定額の手数料が入るのは勿論のことであるが、POPのデザイン料、印刷代が広
告代理店としてのコア・ビジネスであるから当然ビジネスとして収入がある。このPOPを差しか
えるために店を巡回するだけではなく、本部と末端店との意思疎通をはかるルートセールス、受発
注業務、それに加えて配送業務までこなしているのがPIAであった。このようなビジネスモデル
が成立するのはアメリカの広大な土地が正否のカギであると思う。

ちなみにPIAの活動地域の面積は次のとおりである。

カルフォルニア 411千平方キロ (日本の面積の約1.1倍)

アリゾナ 295千平方キロ

テキサス 691千平方キロ (日本の面積の約1.8倍)

ネバダ 286千平方キロ

日本の面積は378千平方キロであるから比べてみると、日本の実に4.4倍の面積である。この
広大な面積に日本の大型店舗より2倍も3倍もあるスーパーマーケット、2800店舗を相手にす
るからこそ成立するビジネスだ。契約しているメーカーの全容は明かさなかったが、22社ある契
約先の1社にトマトケチャップのハインツがあると洩らした。CAGEとサンキストはPOPの差し
かえ業務だけの契約でマーチャンダイジングは行っていないと言う。

われわれはアメリカを論ずるときこの広大な地理的条件を考える必要がある。私の学生時代の友人
がテキサスに住んでいるが隣の人に会いに行こうとすると160キロ離れているという。それ故、
日本の菓子問屋や食品問屋でPIAのような活動ができるところはない。メーカー側からみると、
ルートセールスの代行、商品の配送業務、POPの発案、印刷、差しかえまでの業務はスーパーの承
認をとった、願ってもない活動である。一方、スーパー側から見ると各州の新しいマーケットトレ
ンドと近郊競合店の情報が定期的に得られ、同時に、それに基づくマーチャンダイジングの手助け
から支援業務まで果たしてくれる、これも願ってもないことだ。製販にとってありがたい存在であ
る。

PIAはトンプソン社とは提携関係にあり、資本関係はないと言う。ここでも時間がなく、質疑応
答に十分な時間が割けなかったことは残念であった。トンプソン社には日本の電通や博報堂のよう
な派手さはないが105年の歴史を誇る、アメリカのプラグマティズムの権化のような存在である。
リサーチ、マーケティング、クリエイティブ、媒体手当、時にはPRなどのサービスを行ってくれ
る万能の広告代理店である。105年間も成長し続けるこの多国籍企業の秘密は「クリエイティブ
革命」によるものである。今回訪れたPIAもこのクリエイティブ革命を実践するために提携され
たもので、日本のように直ちに資本関係で上下関係を図りたがる国とは違う。コラボレーション、
コントリビューションという概念が我が国は希薄である。問屋は大卸、仲卸、小卸と多重構造にな
っていてその数はPIAの配送エリアと比べると400倍、500倍に達すると思われる。その商業
効率は情けないほど低く、問屋同志は互いにいがみあっている。

タテの関係ではなく、ヨコの関係というか、対等な関係でトンプソン社はPIAに対して泰然自若
とした新しい提携関係を結んで革命的な仕事を創出しているように思われる。PIAのPOPの
定期的な差しかえ業務こそ、トンプソン社とクライアント先で基本的なマーチャンダイジングを行う
中で、PIAの活動と関連づけた広告活動であろう。これは誰にも負けない、また誰も真似できな
いスーパーマーケット支援活動である。PIAの活動がある故にメーカーとスーパーマーケットの間
で永年にわたって信頼関係が築かれてきたのである。今やトンプソン社の伝説となっている「クリ
エイティブ革命」の狙いが的中した成功事例を私は強く実感した。このような従来からある地元の
組織を生かし、自分たちのクリエイティビティを注入して、新しいミッションを帯びたビジネスを
創出するトンプソン社の「革命的な仕組みづくり」に大きな感動を覚えたのであった。

<つづく>

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