投稿日: 2009年5月31日
ニューヨークのバレンタイン(4)
「ジ・エスプレッソ・バー」(The Espresso Bar)
カジュアルなデパートの食堂であるが「劇場としての店」にふさわしい創造空間をつくりあげて
いる。5年前にオープンしてすでに3回の拡張を余儀なくされるほどの成功をおさめている。こ
の「ジ・エスプレッソ・バー」のターゲットは「サタデイズ・ジェネレーション」である。メニ
ューは上昇志向をもつ若者向けにスピーディーに提供できるパスタ・ディナー、アラカルト、エ
スプレッソを始めとする様々なコーヒー、紅茶、シャーベット・フロートなどのソフトドリンク、
デキャンターで出されるワイン。ウエイターやウエイトレスの服装も親しみやすい。くだけたサ
ービスも客の人気を呼ぶ。
賑やかで活気あふれる雰囲気にひかれて地下鉄からの客が地階入口から利用しようと入ってく
る。噂がうわさを呼んで拡張に次ぐ拡張をしていった経緯はここに座るとよくわかる。「劇場と
しての店」のテーマを実現しているのである。黒を基調としたインテリアにネオンで空間をみた
すことによって幻想的な影と光が織りなす舞台にいるような錯覚に陥る。ニューヨークの孤独を
癒やそうと人が集まってくる。気軽に人と会う場所。軽く食事をとる場所。待ち合わせをする場
所。ブルーミングデールのレストランのくくりの中で「バー」と位置づけられている所以だ。
日本には地下鉄と直結するデパートは山ほどある。しかし「ジ・エスプレッソ・バー」のような
規模と雰囲気をもつ店はない。たとえば大阪の阪神百貨店。規模は大きいが地下2階である。ち
まちました小さな店が統一性もなく並んでいる。楽しむ空間ではない。百貨店の店子(委託店舗)
が軒をつらね空腹を満たす場所にすぎない。くいだおれの大阪が泣く。東京日本橋の高島屋も地
下2階だ。おなじく委託食堂が並んでいる。戦前のデパートの食堂はもっと上品で華やいだもの
だった。阪急百貨店やそごうの大食堂の雰囲気は子供ごころにもよく憶えている。
「ル・トレン・ブルー」(Le Train Bleu)
「豪華なフランスの食堂車を古き良き時代の香りをのせて再現」と謳ったフレンチレストランで
ある。世の中に鉄道ファンは多い。オリエント急行の食堂車で食事をとりたいと思う人の心をつ
かんだこころ憎いレストランである。日本のブルートレインとは違う。パリからロンドン、パリ
からマルセーユを経てモンテカルロからサンレモへ至るトレン・ブルーである。いずれの列車も
19世紀末の緩慢な時間の流れとノスタルジーを感じさせる。ブルーミングデールをブルーミー
と呼ぶ顧客の心をこの「ル・トレン・ブルー」はつかみ、虜にするものがある。アメリカは鉄道
の時代が終わり移動手段は車と飛行機に頼る忙しい時代になって久しい。
それ故にこの「ル・トレン・ブルー」の特別食堂の内装は見事なばかりに憎いできばえだ。室内
の色はロイヤルグリーンの豪華なベルベット張りの椅子、マホガニーと真鍮を使った内装は列車
食堂の復刻版そのものである。アールデコ調の艶けしガラスの照明器具、椅子の織り柄も当時の
ものを再現しているという。テーブルの上はフラスコの一輪ざしに可憐なばらとオレンジ色のラ
ンプが配されている。エレガントに洗練された演出は黒の蝶タイに白い上着のウエイターのサー
ビスで決まる。これほど絵になるロマンチックなデパートの特別食堂が日本にあるだろうか。ブ
ルーミングデールが家具商の出であることは「モデル・ルーム」ばかりではなく「ル・トレン・
ブルー」にも現れている。
時間が遅く残念ながらディナーを味わうことは出来なかったが、価格が20ドルとこなれている
のに驚いた。ランチにつづくアフタヌーンティーとデパートの来店者だけでなく「ル・トレン・
ブルー」めあての客を惹きつける。ここでもブルーミングデールの経営陣がノスタルジックな旅
愁をかきたてるアイディアを積極的に採用して現実のビジネスに結びつけた実行力に脱帽した。
ブルーミングデールは日本の多くのデパートの担当者にアイディアをもたらしたことは間違い
ない。しかし「ル・トレン・ブルー」のような洒落た食堂にも、列車食堂で働いていたウエイタ
ーの機敏なサービスにもお目にかかったことはない。価格相応の食事を提供すればよいという経
営者の風潮があるのだろう。雇われ経営者の出世の道は「早飯早糞芸の内」というものであろう。
日本の経営陣には「時の流れ」をビジネスにするには食文化に欠けているきらいがあると皮肉を
いってブルーミングデール見聞記を終ろう。
<つづく>
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