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ニューヨークのバレンタイン(7)

投稿日: 2009年6月21日

ニューヨークのバレンタイン(7)  

バルドゥッチ(Balducci)とゼイバー(Zabar’s)

2店とも食品の専門大店である。バルドゥッチはイタリア移民の子孫が経営している。84才の
創業者、バルドゥッチは週6日フルタイムで店に立つ。その夫人は調理場をとり仕切る。彼等の
孫たち27名も働いている。大きな店であるが家族総出で働くところはイタリアアッセンダント
らしい。パリのフォーションと同じく果物の露天商から始めて大成功をおさめた小売店である。
加工食品だけでなく生鮮野菜・果物、鮮魚、精肉が充実している。見たこともない魚がいけすに
放たれている。青果売場でイチゴにチョコレートをどぶ漬けして実演販売をしていた。新宿高
野が3年前のバレンタインセールで同じ趣向の販売方法をとっているのを見て大いに感心して
いたが、いま、バルドゥッチの売場を見て合点した。売場で聞くとこの販売方法は何年も前から
行っているものであることが分かった。食用ほおずきにチョコレートをかけるのもミラノのサン
タンブロージュで見たとおりである。チーズ、ハム、ソーセージの売場は生鮮食品と同じように
充実していた。デリの売場はニューヨーカーのライフスタイルにしたがって品揃えがなされている。

小売店はすぐ真似られる。しかし目に見えないところの流儀や手法は真似られない。いけすに鮮
魚を放すのもアメリカだから成功するのだ。いけすに放たれた魚はいけすのおりの臭いがする。
日本のグルメには受けいれられない。ニューヨークならこれはショーだ。ショーといえば屋外に
山と積まれた果物売場で白い上着を着た店員が突然ロマンチックなナポリターナを歌いだす。ま
た、シェークスピアの台詞を吟誦しだす。ベルディーのオペラ、ファルスタッフ、マクベス、オ
テロのアリアを諳んじていればシェークスピアもおてのものである。しかし簡単に真似できない。
多分ここでもル・フィガロ・カフェと同じようにオペラ歌手や役者を目指している若者が練習を
しながらアルバイトをしているのかもしれない。バルドゥッチ婆さんのつくる「マンマの味」を
真似ることは容易ではない。パスタの種類は数え切れないほどある。しかもバルドゥッチ・ブラ
ンドが多い。アメリカのマーチャンダイズ・ミックスの偉大な実験と成功を見ることがでる。
昭和30年(1955年〜)代の大繁盛していた大阪の公設本庄市場を思いだした。何十軒もの店
が連なっているのであるが、店の主人が客に今夜の惣菜の作り方を教えて、買いものを楽しませ
ていた。毎日の惣菜やみそ汁の材料を少しずつ買うのがその頃の日本人のライフスタイルであっ
た。そんな雰囲気が凝縮されているのがバルドゥッチでありゼイバーであった。パーティー好き
のニューヨーカーたちの求める品揃えがなされていて、電話で予約すれば宅配が可能だ。日本の
仕出屋である。ここではケータリングデパートメントと呼ぶ。アクションミーティングと呼ばれ
る朝食をとりながらの朝の会議にピッタリのサンドイッチ、サラダ、飲み物のセットが人数によ
って大中小と揃えられている。アメリカ人も会議好きなのだ、しかし、朝7時から朝食をとりな
がらするのだ、と想像して改めてライフスタイルマーチャンダイジングが何であるかの手法の一
端を学んだ。アメリカの食品の専門大店は5~6名のホームパーティーから10名以上のパーテ
ィー、何百人もの野外パーティーまでこなすノウハウを持っている。

[蔦川敬亮のライフスタイルの定義にによれば「ライフスタイルとは、その人の流儀、生活姿勢、
所有物などによって特徴的に表現された首尾一貫した個人の生き方」であるという。ニューヨー
カーたちの自己表現として自分の家庭生活を披露し発表する場としてホームパーティーの意味が
ある。]

ゼイバー(Zabar’s)

バルドゥッチはどちらかというと下町的な個人経営の名残をのこす暖かい店であるが、ゼイバー
はニューヨークの山手的などことなくおすましの気取った店である。しかし一歩ゼイバーの店に
足を踏みこむとそこは喧噪の賑わいで人がごった返すトルコのバザールを思わせるエキゾティッ
クな広場さながらだった。青山の紀ノ国屋の店内が山手線のラッシュアワーのような混みようだ
と書こう。ゼイバーの規模は紀ノ国屋の数倍もある。

ゼイバーのチラシに、「食道楽と美食家のための店」とある。人混みの中を歩いてみてニューヨ
ーカーの心を掴む憎い仕掛けが分かってきた。パスタというアイテムのバラエティーとその深掘
りした品揃えの陳列方法がユニークである。店頭の実演販売が日本のちゃちなメーカーの宣伝臭
の強いやり方とまるで違う。コーヒーの焙煎コーナーも同じである。チーズ売場の品揃えに至っ
ては16ヶ国、300種類以上ある。客は売場に備えつけられているリストを持ち帰ってチーズ
の勉強をする。ここにはバルドゥッチと違って鮮魚コーナーはない。それに代わって30種類の
魚の燻製がある。対面販売であることが流行る理由だ。職人が包丁で手際よく、ジョークを交え
ながら、一枚一枚、薄く切り分ける。これもショーである。
ゼイバーの強みは「グルメ食品」と「調理道具」を組みあわせた売場づくりである。調理器具、
食器類の品揃えの豊富さは圧巻である。その見せ方もユニークだ。天井から真鍮のフライパンや
鍋を吊り下げて店の雰囲気を大いに盛りあげている。その間に何百種類というソーセージがぶら
さがっている。ブルーミングデールのザ・メイン・コースの調理器具のブティック街とは違うざ
わつきがある。ゼイバーが作り出す興奮とはバルドゥッチのそれとは全く違う。日本のラッシュ
アワーなみの人ごみの中の人いきれとざわめきに来店客は圧倒される。この興奮はゼイバーが創
った独特の空間である。

デリはバルドゥッチの方が勝れていると思うが評判はゼイバーの方が良いという。クッキーを店
頭で焼いている。その甘ったるい匂いで人の思考力がなまるのかも知れない。私は日本にこのよ
うな知的興味を満足させるような食品の専門大店のないことを残念に思った。日本では「食道楽
であること」、「美食家であること」をそれほど尊ぶ風土がないのではないか。バルドゥッチと
ゼイバーの店を見て強く思ったのは、日本で「食べること」にこれほどの興奮をおぼえさせる店づ
くりができる人物がいるだろうか、ということであった。

<つづく>

参考:マキシン・ブレイディー著「ニューヨークベスト200店」(ツタガワ・アンド・アソシエーツ)

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