Blog

東京産業の経営危機と正栄食品工業の協力要請

投稿日: 2009年8月9日

東京産業の経営危機と正栄食品工業の協力要請

東京産業の経営危機は日本チョコレートにとっても同様に経営危機であった。東京産業が供給し
ている多種多様の製品を直ちに供給可能なメーカーは限られている。日本チョコレート工業協同
組合のメンバーの中には東京産業ほどの生産能力のあるところはない。日本チョコレート工業協
同組合が組合員のためにつくった日本チョコレートという組織は、創業当時から一度も本来の目
的を達していない。東京産業は組合工場のカカオマスを毎年3トンほど購入するだけである。組
合員であることを利用して、日本チョコレートを足がかりに流通業界内に一定の地位を築いた。私
は日本チョコレート工業協同組合の組合事業のために意気込んでオリムピア製菓から出向して
きたが、所期の業界のために良いチョコレートをスーパー業界に供給するという目標を達するこ
とができずフラストレーションに悩まされいた。

東京産業の後継候補を正栄食品(1986年8月 – 東京証券取引所2部上場)に絞りこみ、自分なり
に緻密な調査を行った。正栄食品の創業は(1904年)牛乳の生産から始まっている。生産子会
社に筑波乳業株式会社をもち原料用乳製品ではトップの販売力を持っていると豪語している。製
菓原料、業務用食品分野ではヨーロッパ、アメリカ、中国、オーストラリアから開発輸入を行っ
て国内主要メーカーに製品を提供している。東京産業のピーナッツチョコレートも中国より輸入
した正栄食品のものを使用していた。加工原料も相当の地位を占めている。たとえば1965年に
訪問したドイツのアーモンドマージパン、シュルックヴェルダー(Schluckwerder)の輸入代理
権は正栄食品が持っている。

菓子製造のグループ工場は東京農産、太陽食糧、常陽製菓、モンド、ロビニア等の工場があった。
明治製菓のビスケット類、ロッテのオリジナルチョコレートの下請けをこなし、生活協同組合(コ
ープ・チョコレート)のPBを15種類製造していた。製造規模についても品質管理についても
東京産業を遙かに凌ぐものであった。調査資料・カタログおよびカートンケースにいっぱいの試
食見本をもって会長、葛野友太郎を神戸のモロゾフ本社に訪ねた。私の説明を黙って聴いていた
会長は最後に鋭く尋ねた。「それで正栄食品と取引できる確信はあるのか。」と。私は答えた。
「確信はありません」、「取引が出来なければ日本チョコレートは泥まみれになって消滅します」、
「ベストを尽くすだけです」。葛野会長は大きく頷いて日本チョコレート工業協同組合の組合員
以外との取引にゴーサインをだした。これでうるさい組合員の雑音から逃れられる。
当時正栄食品の代表取締役会長、本多正一であったが、実権は弟の取締役社長の本多栄二が持っ
ていた。彼については旧海軍の軍人であったという情報しかなかった。ここでも私は紹介者を探
すことはなかった。ダイエーグループと日本流通産業のストアブランドの委託加工について相談
したい。都合の良い日時場所に当方から伺う、とだけの簡潔な書簡を社長あてに送った。
正栄食品と東京産業はスーパーの流通業界にあって競争相手であった。コープ・ブランドを一手
に引きうけている正栄食品と、ダイエーグループのストアブランドの大半を供給している東京産
業とは良きライバルであったがお互いに相手のテリトリーを侵すことはできなかった。正栄食品
がダイエーブランドに直接手を出すと問題が生じることは明らかだった。ここがこちらの狙い所
であった。

本多栄二社長と訪問後ただちに近くの鰻料理屋に行き昼食をとった。取締役営業本部長、慶徳隆、
関西支社の取締役支社長、鈴木孝雄が同行した。鰻丼が出るまでの会話。社長は海軍におられた
そうですが、私の伯父は海軍軍人でしたが海南島で海にいる毒蛇に噛まれて戦病死しました。高
校の12歳先輩、三谷与志夫が江田島の海兵出で「回天」の指導教官でした。現在電通の連絡局
長で私はたいそう可愛がってもらっています、云々。この会話が後の話の展開に役だったことは
明らかであった。社長は言った。「海軍はハヤメシでね」というなり出てきた鰻丼を猛烈な勢い
で食べだした。私はほとんど犬のようなぐる呑み状態で彼のペースについていった。食べ終わる
とにやりと笑って営業部長に言った。日本チョコレートのお世話になろう。60日サイトで10
億の枠でいいだろう。社長は詳しい事情を事前のヒアリングで全てを理解していたに違いない。
詳しい打ち合わせは営業部長と関西支社の担当者とするようにと言って話はあっけなく30分
で終わった。

これで一安心とばかり葛野会長に報告した。彼は私が1987年の4月で日本チョコレートを辞め
ることを憶えていてそこを突っこんできた。君は日本チョコレートを辞めてどこへ行くのだね、
と。私は父親が1月に亡くなりましたのでオリムピア製菓に戻ろうと思います。こう言うと葛野
会長は暫く無言で私を睨んでいた。平塚君が日本チョコレートの社長を断ってきていることは知
っているだろう。君は敵前逃亡をする気か。1月現在の売掛金、3億円、在庫、2億円、東京産
業の倒産が早まるとダイエー、日本流通産業にある商品在庫がすべて返品されてくる。そうする
と日本チョコレートの負債総額は3億5千万から5億と推計される、と平塚製菓の計理士は日本
チョコレート工業協同組合の理事会へ報告しているらしい。
難題が次から次からに起きる。「敵前逃亡」をする気かと言われて「然り」とは言えない。「再
考します」と答えてモロゾフを後にした。組合の理事の連中は、日本チョコレートは理事長が始
めた事業であるから彼が後始末をつけるのが当然であると涼しい顔をしている。

東京産業には、5月1日から商品供給は正栄食品が行うので商品在庫と包材在庫を報告するよう
通知をした。味覚糖と江崎グリコには直接取引をしている東京産業で事後処理をするよう依頼し
た。次の喫緊の問題はダイエーの口座移行の問題であった。

<つづく>

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP