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東京産業の経営破綻と日本チョコレート

投稿日: 2009年8月30日

東京産業の経営破綻と日本チョコレート  

芥川製菓から回付された東京産業の廃業宣言の記事(日刊帝国情報)は次の通りであった。
東京産業 廃業宣言 善後策について債権者に協力を要請
トーサンチョコレートの名称で知られる神奈川県下では中堅のチョコレート、ココアの製造業者。
東京産業(株)(資本金 1億100万円、神奈川県大和市下鶴間2570,冨永正雄社長、従業員120人)
は6月25日、芝青年会館[東京・港区]において、債権者150社内外を集め、廃業を宣言した

会議の状況と今回の事態に至った経過は下記の通り。当社は昭和22年12月創業。35年4月に改
組されたチョコレート、同関連商品の製造業者で、自社商品のほか、江崎グリコ、ヤマザキナビ
スコの下請けも行い年商約70億2800万円(61年5月期)をあげていた。
58年ごろまでは順調な業績推移が続いていたものの、58年にモールディングプラントなど大
型投資を行ったところ、「グリコ事件」の発生で主力取引先江崎グリコからの受注が半減、これ
につれ自社製品も影響をうけ経営が悪化した。

代表の冨永氏は不動産売却などで私財22億2700万円を注ぎ込んだが経営悪化に歯止めが
かからずじり貧が続いていた。
昨年から合理化を団交し体制の立て直しを図ったが、これが労使紛争に発展、逆に生産効率の悪
化を招いていた。

会社側の説明によれば、今回の事態に至った最大の原因は設備投資の失敗で、このため年間約?
億円の金利(ママ)、リース料を負担することになったためで、今年に入っては、操業を続ける
限り月額約5000万円の赤字はさけられない情勢が続いていたといわれる。幸い地価の高騰で
土地の含み資産が増大したため、現在工場(約8250平方㍍)を売却すれば一般債権者には迷
惑をかけず管理することが可能であり、労使間の話し合いも一応決着したところから、廃業の決
断に至ったとしている。

しかし不動産の処分を基本とした廃業であるため、売却までの資金繰りついては見通しが困難な
ところから、今回債権者の協力を呼びかけることになった。
債権者会議では当面月末と7月5日の決済をめぐって活発な質問が交わされたが、債権者間の立
場の違いもあり結論が出ないまま会社側からの要請を待つことになった。
工場の売却については早急に作業に入るが、労組が新会社を発足させるため、半年間は使用を認
めているところから来年の1月ごろとなる。
などが明らかにされた。

債権者のほとんどは唐突な出来事に不安を隠せない様子だったが、資産評価については一応の裏
付けがあるところからか混乱には至らず1時間半余りで散会となった。
今後の処理は多田法律事務所(港区芝4-5-12)があたることになっている。
これより先、6月22日に東京産業から下記のような債権者会議開催の通知がだされていた。
拝啓 新緑の候貴社益々御繁栄の御事とお慶び申しあげます。

さて、当社は長年に亘りチョコレート及び関連商品の製造販売を行い、皆様方の多大な御支援・
御協力を賜ってまいりましたが、設備投資の失敗と業界の環境悪化のため、ここ数年徐々に経営
内容が悪化し、会社資産の一部売却や社長個人資産の処分等操業継続への努力にも拘わらず、経
営改善の見通しがつかないため、やむをえずこの6月25日をもって営業を中止し廃業させてい
ただくことといたしました。当社といたしましては、このような事態を避けるため、営業継続の
可能性について十分検討いたしましたが、どうしても、利益計上の見通しがなく、このまま操業
を継続すれば、益々損失が増大し、結果としては皆様方により大きな御迷惑をおかけすることが
予想されますので、この段階で営業を廃止し、会社を整理、清算させていただくことを決断した
次第であります。今後は皆様方の御迷惑を少しでも減少できますよう最大限の努力をいたしたい
と存じますので何とぞ御容赦賜りますようお願いいたします。ご愛顧いただきました皆様方には
大変申し訳なく心から深くお詫び申しあげます。

つきましては、当社このような事態に至った経緯と今後の方針を御説明申しあげ、皆様方の御意
見も伺って、公正かつ敏速に今後の整理手続きを進行いたしたく、左記のとおり債権者集会を開
催いたしますので、是非御参集下さるようお願いします。

敬具 記

一 日 時  昭和62年6月25日(水)午後3時

一 場 所  芝青年会館 1階ホール
東京都港区芝2-1-20
電話(03)454-4565

昭和62年6月22日

大和市下鶴間2570番地
東京産業株式会社
代表取締役 冨 永 正 雄

債 権 者 各 位

整理廃業で一番困ったのは従業員であろう。当初の廃業通知には組合員が事業の一部を承継する
ことを書いてあったが、実際の通知文からはそれが削除され債権者会議で討議された。その模様
は日刊帝国情報に書かれてある。我々、日本チョコレートの社員や日本チョコレート工業協同組
合の事務局にも東京産業の整理廃業後の情報は断片的に入ってきていたが、冨永家一族の消息は
今もって全く分からない。東京産業に勤めていた幹部に聞いても社長の生死すらしらない。銀行
や商社を辞め親の会社を救おうとした息子二人はどうしたのであろうか。知っているのは野村専
務だけであるが彼も口を閉ざしてなにも語らない。多くの悲劇があったに違いない。
東京産業から出向していた3名の社員は東京産業に戻った。東京本社の営業部長は大阪に来るよ
う誘った。住居は私の両親が住んでいた家を提供しようと言ったが彼はこの申し出を受けなかっ
た。彼は田中角栄の熱心な支援者であったのでその仲間の斡旋で自営業に転じた。

会社の整理業務は3ヶ月かかった。整理が済むと直ちに東京本社を閉鎖して本社を大阪府吹田市
に移した。東京本社を閉めたことから日本チョコレートはすぐ倒産するという風評が全国に流れ
た。その噂はまことしやかな理由で語られ、我々を忌々しく思っているだれかが積極的、意図的、
断続的に流していた。ひどい噂が流される度ごとに得意先から呼びだされ説明しなければならな
かった。しかしダイエーからだけは一回も聴聞されることはなかった。それは取引口座を日本チ
ョコレートからオリムピア製菓、もしくは、エバーリッチに変更する手続きを連日のようにダイ
エー本部と打ちあわせていたため、実態の流れをダイエーのバイヤーたちは掴んでいたからであ
る。この項については後述する。

それまで日本チョコレートと組合員との取引は90日サイトの手形で取引していたが、現金決済
を要求する組合員もあらわれた。信じがたいことだが私が直接仕入先に出向き、せめて30日か
60日手形でお願いできないかを打診したところ現金決済が厭なら取引しなくてもいい、と冷や
やかに言い放たれ愕然とした。この会社の商品は我々にとってなくてはならないものであったの
で泣く泣く決済条件を呑んだ。

<つづく>

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