投稿日: 2009年9月6日
東京産業の経営破綻と日本チョコレートの独立(買収)
これより先、1987年4月17日の日本チョコレート工業協同組合の役員会の決定に従って、
4月22日の臨時株主総会で富永勸が日本チョコレートを買収することが決まった。株主総会の
模様は一生忘れることはないであろう。葛野友太郎というカリスマが演出する筋書きに沿って行
われた。日本チョコレート工業協同組合の決定機関で正式に日本チョコレートが日本チョコレー
ト工業協同組合から独立した法人になる「手打ち式」であった。
「それでは本日の議題に入ります。議長の葛野常任顧問より第一号議案についてご説明願います」
と、鳴海専務理事の開会宣言につづいて本題に入った。短い挨拶の後「今度日本チョコレートの
社長になられる富永さん、組合の皆さんの前で日本チョコレートの債権債務についてはあなたが
全責任をもって処理し、組合には一切迷惑をかけないことを誓ってください」と壇上に上がって
宣誓をするよう促された。私は同じように「日本チョコレートの債権債務については一切の責任
をもって処理し、皆様方には御迷惑をおかけしません。」と誓った。その後、葛野議長は「ご異
議ありませんか」と言った。パラパラと拍手が起きた。すかさず「本件は全会一致で可決されま
した」と、葛野議長の発言に続いて鳴海専務理事の閉会宣言がなされた。開会から閉会までわず
か10分たらずのことであった。
常任監事、葛野友太郎にとっても懸案事項であったに違いない。閉会宣言の時に見せた彼の表情
には安堵のいろがみえた。「敵前逃亡」ではないかと凄まれたときの表情とは明らかに違ってい
た。40人を超える組合員を束ねる彼の組合運営術は寡黙と極論の使い分けでカリスマ性をもっ
たチョコレート業界の領袖であった。日本チョコレートは誕生の時から幕引きまで多くの問題が
起きた。起きるたびに組合員は総論賛成、各論反対で葛野友太郎は頭が痛かった。
ダイエーに提出した口座移行願いをここに掲出したい。
昭和62年3月10日
(株)ダイエー
フーズライン事業本部
250 Division CMD 立津一正殿
大阪府吹田市垂水町3-25-8
(株)日本チョコレート
取締役 富永 勸
新規取引口座の申請について
標題
(株)日本チョコレートは次に述べる理由から、一定の整理期間をおいて、解散いたします。つい
ては、新たに(株)エのバーリッチに貴社の口座をご開設くださいますよう申請いたします。
1.昭和44年4月。オリムピア製菓(株)から(株)日本チョコレートの口座へ取引の実体を移行
し、現在に至るまでの経緯についてご説明します。
(イ)メーカーはマスプロ、マスコミ、マスセールを行い、GNP世界第3位、経済成長率
18%、EXPO70の前年といった日本の流通業界の拡大成長期であった。
(ロ)ダイエーの発展はめざましく、オリムピア製菓のような小企業では到底ダイエーに対し
て満足な商品調達を行うことは不可能であった。
(ハ)ダイエーにあっては、SB化によってメーカーの価格決定権をメーカーから消費者へ
奪取しようと目論んでいた時期であった。これに対しNBメーカーは無論のこと、
ナショナルチェーンストアに供給可能な中規模メーカーですらSB化には抵抗していた。
(ニ)日本チョコレート工業協同組合に所属する40社以上の組合員が、これに応ずべく協業事業
として(株)日本チョコレートが設立された。それなりの商品供給能力や商品開発力を評価され、
今日まで20年の長きにわたり取引を継続いただきました。
2.現在は、まさにメーカー優位の時代が終焉を迎えようとしているときである。
(イ)ドルショックに続き、第2次石油ショックの打撃を日本の産業界が切り抜け、
20年前に構築をめざした「豊かな社会」の豊かさを達成しつつある。やっと豊かさが日常化し
てきたとき「何が豊かなアカシ」なのか分からなくなってきた。
(ロ)物的充足のみでは真の豊かさとはいえない。心の充足を必要とする時代である。
心をときめかせるものは何か・・・Enjoy Life, Quality Life, Entertainment, Healthy Life をキーワードとして、新しい価値開発をしなければならい次元に入った。
(ハ)新しい市場と需要を創造するためには、メーカー(川上)よりも流通末端(川下)
での加工が必要とされる時代である。
(ニ)生活者がプロ化する時代にあっては、小売の現場において生活者に価値づけや意味づけ
をした商品づくりとともに売場づくりをしなければならない時代である。
3.(株)日本チョコレートの出資者は当初(昭和43年)40社をこえたたが、46年には12社、
48年10社、61年9社となり、日本チョコレート工業協同組合の協業事業とは名目だけになった。
(イ) 現在、9社の株主のうち(株)日本チョコレートへの供給メーカーは4社である。前期の
(ロ) 実績は次の通り。
社名 売上構成比 売買差益額構成比
東京産業(株) 55.7 (%) 43.5 (%)
ゴンチャロフ製菓(株) 2.8 2.6
ファースト製菓(株) 2.5 2.7
平塚製菓(株) 2.2 2.0
非株主メーカー 36.8 49.2
合計 100.0 100.0
株主で供給のないメーカーは:日本チョコレート工業協同組合、モロゾフ(株)、芥川
製菓(株)、寺沢製菓(株)、フランス屋製菓(株)
(ハ)株主へのリターンが少なく、一社のみに仕入がかたよってくると、合事業として組合員
相互間の利害調整が極めて困難になってきた。
4.以上の理由から導き出されたものが冒頭に掲出した標題に帰納される。
(イ)事業領域を明確化するために従来の(株)日本チョコレートは日本チョコレート工業協
同組合の組合員メーカーを含め、現在、ダイエーと取引のあるチョコレートメーカーを
コーディネートする機能を十分発揮できるようにする。
(ロ)昭和53年4月1日、ダイエーのイベント商品につける商標のために設立した会社が(株)
エバーリッチである。
(ニ)ダイエーが生活者の選択の多様化に対応した商品開発に応えるためには、価値開発や
グローバルな視点からの商品企画と商品化された商品を販売するまでのシナリオづく
りをできる人間集団が必要である。それが(株)エバーリッチである。
(ホ)国際商品、国際価格、国際基準(品質管理、環境と資源に対する基準)をみたした商
品開発をすることが(株)エバーリッチの使命である。
5.株式会社エバーリッチの会社概要 (経歴書別添)
設 立:昭和53年7月
本 社:大阪府摂津市千里丘7丁目7番18号
目 的:ダイエーグループ、CGCグループ、ニチリュウ等のイベント商品の企画、開発
5月1日から日本チョコレートは日本チョコレート工業協同組合の傘下から離れて富永勸が代
表取締役となった法人になり、主要商品のサプライヤーは東京産業から正栄食品に切りかわった。
この筋書きを立案し実行するにはダイエーの協力なしには実現しない。実現したのはそれまでの
日本チョコレートの実績をダイエーが信用してのことであった。最後の段階で口座名が日本チョ
コレートのまま、経営者だけが代わることになってダイエー側にとって手続きが簡単になってシ
ナリオ通りにことは運んだ。この口座申請書は日本チョコレートがそのまま継続することになっ
たため無用のものになったが、この申請手続きの過程でダイエーといろいろな論議を戦わせた。
その論議がその後の日本チョコレートの方向性を決めたような気がする。
<この項おわり>
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