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「ヨーロッパの食とギフトを学ぶ研修旅行」(6)

投稿日: 2009年10月17日

「ヨーロッパの食とギフトを学ぶ研修旅行」(6)

第8日 1986年3月8日 (土)

08:00  朝食(ホテル)後、直ちにテルニ市にバスで移動

09:00 聖バレンチノ教会を見学。その後、各自、自由に市内のショップ見学、
マルメロの滝の観光、もしくは自由行動

17:00 テルニをバスで出発

18:00  ローマ到着 ホテル(Qulrinale)チェックイン後、少し自由時間

20:00  夕食、アルフレード(Alfredo)

22:00  ホテル帰着

第9日 1986年3月9日 (日)

8:00  朝食(ホテル)

8:00~17:00 ローマの休日を各自楽しむ

17:00  松宮隆男 第3回勉強会

III.仕事づくり

A.最初に仕事の大きさを

B.できる教育とわかる教育

C.数字をドラマにしてみる

D.責任範囲を明らかにする

E.共通の行動を

19:00  各自、グループごとに食事をとる

22:00  ホテルに帰館のこと

第10日 1986年3月10日 (月)

8:00   朝食(ホテル)

9:00   ホテル出発、空港へ。

11:40   ローマ発、AF631便にてパリへ

12:40   パリ到着

特別バスにて市内観光

サン・ジェルマン・デ・プレ、ナポレオンの墓のあるアンパリット、エッフェル塔、ノートルダム寺院、
コンコルド広場、オペラ座、モンマルトルの丘、等々。

17:00   ホテル到着。凱旋門に近いホテルカリフォルニア(Hotel California)

17:30 松宮隆男 第4回勉強会

IV. 人づくり

A. 企業の将来は、人材をどれだけ育てられるかにかかる

B. 戦略テーマと管理テーマ

C. 女性のプロをつくる

D.ビジュアルな資料づくり

E.各部門の門戸を開け

20:00   グループごとにビストロの体験

22:00   ホテルに帰館のこと

3月8日は「女性の日」で道ゆく女性はみなミモザの花束を持っている。ミモザの花はあちこ
ちで販売されあたりはミモザ一色であった。日本のバレンタインと同じで男性から女性へのプ
レゼントである。「女性の日」が終わるとイースターである。イタリア人にとってこの二つの
イベントは春を待ち望む重要な日である。聖バレンチノ教会はどちらかというと財政的に困窮
に陥っているように見えた。モロゾフのコラボは願ってもない話であったのではないか。

私と茂木は腹具合がよくなくホテルのシェフにお粥の作り方を教え、お昼はサンマルコという
リストランテで全員が会食をする予定であったが、二人は参加を取りやめ日本のお粥を食べに
ホテルへ帰った。お粥は胃に優しくいっぺんに調子が良くなった。
午後からのマルメロの滝の観光には行かず、コンフェット(Confetto)の店を訪れた。コンフ
ェットはアーモンドに砂糖をドラジェした祝い菓子でスペイン、フランス、ドイツ、イギリス
でも極めてポピュラーである。生まれたとき、七五三のとき(カトリック教徒には似たような
儀式がある)、日本の歯固め餅のようなものである。結婚のとき、銀婚式、金婚式の引出物に
欠かせない。日本の紅白饅頭と変わらない。

いよいよローマに着いた。観光食堂といった風情のアルフレードで夕食をとった。われわれ一
行が店にはいるとバンドネオンが「スキヤキソング」を奏でた。つづいて「荒城の月」、さら
に「隅田川」。なんだか場末の酒場の雰囲気だ。ローマにはもっと美味しいスパゲッティを食
べさせる店がたくさんあるだろうに、どうしてアルフレードなのか、と近畿ツーリストの担当
者の良識を疑った。茂木は娘さんに聞いてきたリストランテにタクシーで行った。さぞ美味し
いものを食べたに違いない。

ここで小嶋健二からバスで移動する途中で聞いた話を書きたい。前年(1985年)浅利慶太
が日本人の目から見たプッチーニの「蝶々夫人」を演出した。この「蝶々夫人」はヨーロッパ
の人々にどれほどカルチャーショックを与えたかという話である。文化人類学的に見た二つの
文化の基層の違いがこれほど見事に演出された「蝶々夫人」は今までにない。

演奏会当日、ミラノスカラ座の開場から開演までの間にその日の「舞台」を作ってみせるので
ある。観客の前で、木材を嵌めこみ、畳を敷き、障子をはめ、庭の砂に蛇の目をいれる。石づ
くりの建築文化の人たちを前に、木、紙、土の建築文化の違いを「見せた」のである。
歌舞伎の黒子が登場する。西洋のオペラに黒子は初めてであろう。圧巻は最後の蝶々さん自刃
の場面である。蝶々さんが胸を刺して倒れこむと、4人の黒子が白の毛氈を四方から引っ張る。
するとと、下から緋色の(真っ赤な)毛氈があらわれ一面に広がっていく。この演出に新聞評
は残酷なカタストロフィーだとネガティブな評論であったらしい。

蝶々さんが「名誉をもって生きられぬ者は、名誉あるうちに死ね」と自らに言い聞かせ自害する。
芸者であっても父は武士であった蝶々さんの誇りを、われわれ日本人は理解できても、
ヨーロッパのいっぱしの見識ある評論家でさえ日本の「死の美学」が分からない。
話はまだまだつづくが、自分の目で確かめるのが最善だと思う。近ごろは、林康子演ずるDVD、
「蝶々夫人」は容易に入手できる。

<つづく>

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