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ヨーロッパのマイスターを訪ねる旅行 (3)

投稿日: 2010年2月7日

ヨーロッパのマイスターを訪ねる旅行 (3)

井上優の講座①がホテル到着後、すぐ始まった。

「昭和60年代の生活とトシ」

I 昭和60年代までの生活

      「豊かさのための社会」 

① コレクション・エイジ

② サブカルチャー・エイジ

③ コンヴィーヴ・エイジ

II 昭和60年代からの生活

      「豊かさのなかの社会」 ④ プレゼンテーション・エイジ

⑤ ?

III 昭和60年代までのトシ

      「アーバン・ライフ」  ① 「新しい文化を手に入れる場」

IV 昭和60年代からのトシ

      「シティ・ライフ」   ② 「働く場」

                  ③ 「生活を楽しむ場」

課題①  ヨーロッパの都市を どう見るか

課題②  自分の暮らす都市を どう見るか

以上はA5版の「旅行スケジュール」の巻末にある講座①のすべてである。マチ、トシ、アーバン、シティ、町、街、都市、と井上特有の記号を理解しなければならない。感性を問われる所以である。たとえば家族経営のミセをやっているとする。だんだんミセが大きくなってくると近隣に別のミセができ、次々、また別のミセができてくる。それらのミセがまた大きくなっていくとそこはマチとなってくる。そんな過程が集落ごとに出来てくる。それはやがてトシとなる。ミセを起点として考える。マチにもトシにもそれぞれ特有の匂いがある。特有の色がある。ヨーロッパの都市はそれぞれの都市ごとに全くちがう独特の匂いと色彩がある。歴史からくるもの、特産の物産からくるもの、標高差からくるもの等によって独特の雰囲気が醸しだされる。ローマと、ヴェネツィア、ミラノ、パリは大きくちがう。これらのちがいを予感させることを井上は「課題」にあげてわれわれに気づきを誘う。答えを提示しない。これが井上の生徒に「未見の流行」を誰よりも早く気づかせる教育の流儀である。

コンヴィーヴ(Conveve)は井上優の重要なキーワードである。モロゾフの製品開発にあたってもこの言葉は「食卓を囲む仲間達」のキャプションによる製品群を開発させている。仲間と食事を楽しむ生活から製品開発を発想する。ライフスタイルマーチャンダイズの製品開発の原点である。

昨年、テルニに来たときも小嶋さんがホテル・フォンテガイアで歌ったように、今年も夕食会までの時間をアンサンブル・ミクロルゴスの演奏で過ごした。彼らはこのようなバックミュージックをするような楽団ではない。しかしテルニの観光局の依頼であればむげには断れない。バロック以前の音楽は彼らの演奏を神戸で聴いたのが初めてであった。演奏する楽器を見るのも初めてであった。

イタリアの夕食時間はスペインほどではないが遅く、大体8時ごろから始まる。あす訪問する皮革加工業者と皮革を留める鋲などをつくる金物業者の職人(自営業であるからそれぞれオーナーである)が三々五々集まってきた。気の毒なことにアンサンブル・ミクロルゴスのメンバーはわれわれの夕食会の前座ということになってしまった。そしてあろうことか、テルニ市観光局のパッパレッリ局長が私を指さしナポリ民謡を歌えという。昨年来たときフォンテガイアーで歌ったことを憶えていたのだ。私はアンサンブル・ミクロルゴスの楽団員に悪いので団員と一緒に歌うことにしてその場を盛りあげた。結局、オー・ソーレ・ミオを歌ったところで前座は終わった。それから深更まで立食のパーティーはつづいた。

1987年5月25日(火)

8:00  朝食

9:00  「中世・愛の小径」 アッシジ (Assisi)

デルータ (Deruta)
ペルージャ(Perugia)を訪問

17:00  テルニ着。ホテル・フォンテガイア

18:00  松宮隆男 講座②

19:30  ウンブリアのマイスターと夕食会

アッシジは12世紀にフランチェスコ派を創設、もう一人のキリストといわれた聖フランチェスコの生地である。青年時代にペルージャの戦いに敗れ、戦犯として投獄生活をおくり、後に大病を患ったことをきっかけにキリスト教に深く帰依、祈りと献身に生きた。アメリカのサンフランシスコの地名は、このキリスト教のフランチェスコ会の創設者の聖フランチェスコにちなんで付けたものである。聖フランチェスコ教会は、上下2階建てで、上院と下院と呼ばれている。ロマネスク・ゴシック様式の絵画で覆われている。下院は天井が低いが、壁全体が、チマブエ、ロレンツエェッティ、マルティーニ等のフレスコ画で宗教的雰囲気を醸しだしている。上院はジヨットによる聖フランチェスコの生涯を描いた28面のフレスコ画で壁一面が飾られて壮観である。聖フランチェスコ教会の正面のファッサードはゴシック様式で上院の入り口である。周囲の石畳の道は、まさしく「中世・愛の小径」である。正面玄関に通じる細い道を少し登った右にある店のピッツァは絶品であった。(アッシジに行くたびにこのピッツェリーアを探すが今は閉店してない。)

デルータは町中がマジョルカ焼きになんらかの関わりをもつ焼き物の町である。イタリアを代表する陶器は当初スペインからマジョルカ島を経由して輸入されていた。この錫釉色絵陶器の模倣に成功した後もマジョルカ焼きと呼ばれるようになった。イタリア各地にマジョルカ焼きの窯元が存在する。デルータもその一つである。デルータは16世紀の初頭からグッビオ、ウルビーと並んで錫釉に大きな進歩をとげイタリアを代表するマジョルカ焼きの町となった。

<つづく>

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