投稿日: 2010年3月8日
ヨーロッパのマイスターを訪ねる旅行 (5)
1987年5月26日(水)
8:00 朝食
9:00 「中世・愛の小径」 オルヴィエート (Orvieto)
匠の工房を訪問
ミケランジェリ(Bottega Michelangeli)
17:00 ラ・バディーア・ホテル
18:00 井上優 講座③
19:30 夕食
午前9時、われわれはイタリアで最も美しいと言われているオルヴィエートに出発した。城塞都市とはこのような姿をしているものだと明確に分かるのがオルヴィエートである。まずオルヴィエートの画像を眺めていただこう。ここはウンブリア州テルニ県の4万人余の都市である。ミラノ、ローマ、フローレンスといった観光客で賑わう街ではない。静かな平安の地である。そこに13世紀の終わりから3世紀もかけて建築された大聖堂が聳え立つ。言葉通り、聳え立っているのである。大聖堂に至る道は、まさしく「中世・愛の小径」である。この大聖堂に関してはアーモイタリア(amoitalia)に詳しい。
テルニ観光局のダニエッラが語る大聖堂についてモロゾフのスイートランドに掲載されている文章を引用したい。[ウンブリアで最も美しいと言われるイタリア・ゴシック様式の大聖堂(ドゥオーモ)が天を突くようにそびえ、七色のモザイクが陽斜しにきらめくさまは、中世イタリアの教会の力をあますところなく語って壮観。側面から見ると縞馬模様。白い石と黒い石を交互に積んでいます。フラ・アンジェリコとシニョレッリの壁画でも知られ、とくにシニョレッリの「最後の審判」は高い評価を受けています。この大聖堂は1300年から1600年まで、なんと300年にわたって建設されました。その建設にあたった職人や人夫たちに時を知らせるマウリッツオと呼ばれる鐘つき塔が、大聖堂の横にあります。人形が鐘をつく仕掛けのからくり時計。人形も鐘も健在で、今も時を告げています。]
後年、得意先の品質管理の課長とオルヴィエートを訪れたが、食事をする時以外は終日、私に向かって一切話をしなかった。彼は美術愛好家でベルギーでもオランダでも週末はきまって博物館、美術館巡りをした。各地の大聖堂のミサにも早朝から出かけた。彼はクリスチャンではない。大聖堂の建築美術を観察するためである。大聖堂には国立考古学博物館とオルヴィエート市立博物館があってローマ人に攻め立てられた以前の住人、エトルリア人の伸びやかな陶器、壺、青銅の鎧等が多く展示されている。私ごとであるがこの国立考古学博物館でみた壺はギリシャの影響を受けたものである。美術書でギリシアの壺と思いこんでいたものは実はエトルリア人の壺であったことを知った。はやくギリシアに行ってキーツが寿いだギリシアの壺を見てみたいものだ。一緒に行った品質管理の課長に感銘を与えた大聖堂はその後も家族をつれて再訪したとのことであった。
[オルヴィエート市立博物館は陶器、骨壺、副葬品が展示してある。エトルリア人の陶器は艶消しでしっとりとした肌合いの黒色陶器とベージュ色の肌に赤絵、茶褐色絵の陶器。いずれも日常生活をうかがわせる自由奔放な絵がつけられています。<モロゾフのスイートランド>]
匠の工房は大聖堂から遠くない「愛の小径」にあった。木製人形の匠、ミケランジェリ(Bottega Michelangeli)であった。ミケランジェリには3人の女の子供がいた。ドナテッラ、シモネッタ、ラファエッラ3姉妹である。訪問した当日、シモネッタとラファエッラがわれわれを歓迎してくれた。1929年4月、大工の4代目として生をうけたミケランジェリは大工の仕事にあきたらず、1960年末から人形づくりを始めたらしい。オルヴィエート周辺の樅の木をつかって作る人形、動物、家具は一度そのよさに触れると自分の居間をミケランジェリの作品ですべて飾りたてたいという衝動に襲われるようだ。私はライオンとミミズクを何のためらいもなく買った。今も私の居間にある。カンナも掛けていない樅の木の切れっ端を重ねてつくったライオンの顔とミミズクの顔である。何ともいえないユーモアとペーソスが漂っている。この味わいが彼を匠にしたと私は思う。オリジナルの型を切り出して、部品を重ねあわせるだけの作業である。誰にでもできる。彼がもっている天性の芸術的な感性が人々を虜にしたのである。
彼のそれまでの全作品を纏めた写真集を2冊買い求めた。彼の作品の巾はとてつもなく広く令名はニューヨークにまで伝わっている様子が写しこまれている。この一点をみても彼はオルヴィエートというローカルの職人ではなく世界的な芸術家の仲間入りを果たしている。
ミケランジェリの店の付近には様々な匠の店があったが、呑兵衛たちは「カンティーナフォーレジィ」(Cantina Foresi)になだれ込んでいった。店主のフォーレジィは自慢を始めた。「ウンブリアのワインはオルヴィエートに始まり、オルヴィエートに終わる」と。とくにホワイトワインが良い。世界に名高いんだ、とも。紀元前700年にギリシア人がオルヴィエートにワインづくりを伝えた。中世からつづくワイン貯蔵庫をもっているのは此処だけだと鼻息があらい。地下の貯蔵庫へ降りると、冷気が肌につめたい。湿度がたかく独特の倉庫臭が鼻につく。ところ狭しと並べられた樽は経年変化で黒ずんで白カビが付着している。赤ワインは20年ぐらい前のものもあるが、白ワインは4年以内に飲まないと味が変わるので3年ぐらいのものがある、云々。自慢話はつきない。そして、とっておきのワインリキュールを振る舞ってくれた。
17時にホテル/レストラン・ラ・バーディアに着いた。そこはオルヴィエートの中心街から10キロほど離れたところにある12世紀の修道院を改造したホテル/レストランである。
18時から井上優の講座③が始まった。
「昭和60年代のトシとマチ」
I.第一次「地方の時代」 ①「アーバン・ライフ」の充実
(「新しい文化をみつける場」)
II.第二次「地方の時代」 ②「シティ/ライフ」の充実
(「働く場」)
III.「トシの文化」 ③「国の産業」と「都市の産業」
IV.「マチの個性」 ④ No.1 から No.11 までのダウンタウン
課題① ヨーロッパのマチを どう見るか
課題② 自分の暮らすマチを どう見るか
<つづく>
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