月守 晋

A petty talk on chocolate

■田中千代■

〔人それぞれの・・・〕■田中千代■
1999/1/8

「昭和皇后のデザイナー」として著名な田中千代は、フランス大使や外務大臣を務めた男爵・松井慶四郎の長女で母親も銀行頭取の娘。
いわば銀の匙を口にくわえて生まれてきた。
明治39年の生まれで、生後半年で任地に向かう父母とはなれ、母方の祖母の手元で育てられた。

彼女の伝記には看護婦とお付き女中にかしづかれて遊ぶ、2歳ごろの写真が載せられている。
両親と初めて対面したのは5歳の夏。雙葉小学校から高等女学校に進んだが、学校から帰ると、
両親が不在がちな家には机の上に菓子器が置いてあり、中にはクッキーやチョコレートが入っていた。
これはお腹がすいたら適当に食べなさいということで、正式のおやつ(?)は別の畳の部屋で、きちんとすわって食べることになっていたという。

ちなみに千代が高女2年ころの大正8年、森永製菓が日本で初めてカカオビーンズから一貫生産でチョコレートの製造を開始した。
この量産によるポケット板チョコは1個15銭。
うどん・そばの「盛り・かけ」が 1杯5銭、大衆食堂の昼と夜の定食が15銭だった
(生方敏郎『明治大正見聞記』)。

正岡子規・・・結核性の腰椎骨カリエスを患って、晩年にはからだのあちこちに穴が開き、
絶えず膿を取らなくてはならなかった俳人・子規は、死亡する前年の明治34年9月から、
病床で『仰臥漫録』を書きはじめた。

この『漫録』の最大の特徴は、子規が食した日々の朝昼晩の食い物が子細に記録されているところである。
たとえば記録第一日「朝 粥4椀、ハゼの佃煮、梅干し砂糖ツケ 昼粥4椀、鰹のサシミ一人前、
南瓜一皿、佃煮 夕 奈良茶飯4椀、ナマリ節(煮テ 少シ生ニテモ)」というあんばい。

「此頃食ヒ過ギテ食後イツモ吐キカヘス」と書いているが、そりゃあそうだろう、
この他にも二時過ぎに「ココア入りの牛乳を1合(180cc)、昼食後に梨二つ、夕食後に梨一つ」を腹に入れているのだ。
子規には「勤勉ならざる精神の不精の原因は、栄養の不十分に原因している」という持論があり、
「御馳走を贅沢の如く思ふは大なる誤にて、富も知慧も名誉も一国の元気も皆御馳走の中より湧き出・ナ可申候」と主張していた。
ココア入りの牛乳を飲んでいたのは、栄養を考えてのことなのだ。

とはいえ、長年ほとんど寝たきりの病人である。物事がうまくいかないとき(体を思うように動かせないでいらだつとき、もあったろう)に、
子規は腹立ちまぎれに食い物をむさぼった。しかしそうでないときは、現代的な合理主義精神の持ち主であった。

TM記

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